ビューティフル・ボーイ (2018):映画短評
ビューティフル・ボーイ (2018)ライター2人の平均評価: 3
愛していても、思いはすれ違う
依存症は一要素で、物語の根底にあるのは親と子の関係の難しさ。お互いに愛しているのにうまくいかない親と子の物語が描かれていく。互いを愛することができない親と子ももちろん問題だが、それよりも、本作のように互いを大切に思っているのにそのやり方に問題がある親と子、それに気づけない親と子の方が、問題は根深く解決が難しいかもしれないと思えてくる。本作でも、息子はついに堪えきれずに親の問題点を指摘するが、親はその指摘を理解することができない。
思いを口にしにくい性格の青年をティモシー・シャラメが繊細に演じ、自分の正しさ以外は目に入りにくい父親をスティーブ・カレルがリアルに演じて、どちらもハマリ役。
シャラメを愛でる。
クリスタルメス(覚せい剤)依存の懲りない息子に呆れながら、彼しか分からぬ苦悩をサラリと魅せるティモシー・シャラメを愛でる作品と捉えるのがベター。さらに、『IT/イット』の喘息持ち、『シャザム!』の義兄弟と、ネクストブレイクなジャック・ディラン・グレイザーも登場。ただ、薬物にそこまでハマる理由が、家庭環境以外は見えず、モヤモヤが残る演出もどこかモノ足りなく、当初のキャメロン・クロウ監督なら巧く処理してくれたかも?と思ってしまう。とはいえ、直球から変化球まで揃えたサントラセンスに、医師役にティモシー・ハットンを配して強まる『普通の人々』オマージュなど、制作陣のこだわりは好印象。