ディリリとパリの時間旅行 (2018):映画短評
ディリリとパリの時間旅行 (2018)ライター5人の平均評価: 4.2
ベル・エポックがやりたいだけでしょ。
『キリクと魔女』等、西欧以外の美術・文化を取り入れた魅惑的なアニメーションを作ってきたM.オスロ。今回の主人公はパリ万博の「アフリカの村の再現」なる見世物で娘を演じる、実は洗練された少女が主人公。彼女が男性支配を目論む秘密組織の謎を探る…というのが大筋だが、その過程でベル・エポック期に活躍した、あるいは頭角を現した著名人にわんさか出会っていく(でも詳しく説明されないし観客の知識が問われる)。正直、物語も、フェミニズム的な思想もそっちのけ。いかにもCGな動きもエレガントさに欠ける。ただ伝説の歌手エマ・カルヴェの声を、現代の歌姫ナタリー・デセイが演じるのは聴きものだ。
美しきアニメで描く、パリの光と陰
『この世界の片隅に』が若者の戦争への関心を高めたように、アニメは目を背けがちな歴史を幅広い観客に伝える力がある。本作の場合は列強が行っていた植民政策の非人道的な行為であり、今も通じる男尊女卑社会。とりわけニューカレドニアのディリリが、パリ万国博覧会で人間動物園の見世物となっている場面は強烈だ。しかし彼女は自分が置かれている境遇を意に介さず、人助けの為にパリの街を駆けめぐる。それはあたかもひとときの夢のようであり、当時パリの華やかな一面を見ることなく去った人たちへのオスロ監督からのプレゼントだろう。それにしても映像の美しさたるや! 76歳にして新たな表現方法の追究をやめない鬼才にアッパレ。
時代や国や肌の違いを超えた全ての少女たちへ贈る応援歌
『キリクと魔女』のミッシェル・オスロ監督最新作。ベルエポックの花開く20世紀初頭のパリを舞台に、南洋植民地から来た少女ディリリと配達員の若者オレルが、幼い少女ばかりを誘拐する謎のミソジニスト集団・男性支配団の陰謀に立ち向かっていく。冒険の過程でキュリー夫人やパスツールなど実在の偉人を登場させ、フェミニズムや博愛主義の精神を子供にも分かりやすいよう描きつつ、時代や国や肌の色の違いを超えた全ての少女たちに勇気と誇りを与える応援歌だ。子供の知的レベルを侮らない完成度の高さ。アールヌーヴォーやロートレックをモチーフにした作画デザインも美しい。思わず100年前のパリへタイムスリップしてしまう。
ミッション・イン・スタイル!
ベル・エポック時代のパリにやってきた混血少女ディリリの冒険譚は、不寛容や人種差別、性差別がはびこる今の時代にこそ見るべき傑作。後世に名を残す多くの偉人が生きていた自由闊達なパリの描き方はとても美しく、名前からして不穏で滑稽や男性支配団(キュリー夫人はじめとする女性の著しい活躍を受け入れられない狭量な男の集まり)の醜悪さを浮かび上がらせる。パリで出会った人々にインスパイアされ、次々と夢が膨らむヒロインもキュート! 任務を前におしゃれを忘れないフランス女の心意気に拍手した。サラ・ベルナールとエドワード皇太子の恋やドガとロートレックの関係といった当時の事情をちらりと挟んだあたりも小粋です。
ベル・エポックのパリの優美とオスロ監督の色彩に酔う
優美で華麗なベル・エポックのパリの雰囲気、アール・ヌーヴォーの美学が、アニメだからこそ可能な"リアル"と"フィクション"のユニークな掛け合わせによって描れる。
登場人物たちは、その時代の実在の人物たちで、ピカソやマティス、ニジンスキーやイサドラ・ダンカン、オスカー・ワイルドやサティ、キュリー夫人やパスツールまでが次々に登場。家具などのアール・ヌーヴォーの装飾物も実在物で、美術館の所蔵品から監督が選んだもの。そして、それらの配置と世界の色彩は「キリクと魔女」のミッシェル・オスロ監督独自のもの。そのようにして、ベル・エポックのパリの、"再現"ではなく"香りの抽出"によって陶然とさせてくれる。