帰ってきたムッソリーニ (2018):映画短評
帰ってきたムッソリーニ (2018)ライター2人の平均評価: 4
こうなったら日本版リメイクも作らねばなるまい
‘17年のイタリアへタイムスリップしたムッソリーニが、テレビやSNSを通じて再び大衆の心を掴んでいく。ストーリー自体は『帰ってきたヒトラー』の主人公をムッソリーニに入れ替えただけだが、しかし劇中に挿入される市民の街頭インタビューからは、現代イタリアの危うい世相がリアルに浮かぶ。少子高齢化で若者の声は政治に反映されず、政治家が不正ばかりするから市民レベルにも不正が蔓延し、政治に期待できないからと多くの有権者は投票にもいかない。不満のはけ口はマイノリティへと向かい、いい年した大人が平然と人種差別を公言し、それをメディアが金儲けのために煽る。かつての同盟国の惨状は、いろんな意味で他人事ではない。
政治が、社会がおかしい今だからこそ、見るべき!
『帰ってきたヒトラー』のリメイクで、舞台と主人公を変えた以外は細部の違いこそあれ完コピに近く、同作を見ていれば新味は感じられない。が、このような映画が作られ続ける意義はある。
ドキュメント部分の市民のインタビューはもちろんオリジナルで、これが生々しい。移民や政治的無関心、貧困などのコメントを俯瞰させることで見えてくる社会。そこに独裁者が生まれる可能性が浮き彫りになる。
コメディだから確かに笑える。しかし最初は笑いの対象として見られていた者が次第に牙をむくのは、ドイツやイタリアだけのこと? 日本も無縁ではないのでは?……今だからこそ、改めてそんなことを考えてしまった。