象は静かに座っている (2018):映画短評
象は静かに座っている (2018)ライター3人の平均評価: 4
絶望の彷徨の果ての素晴らしいラストシーン。
何しろ上映時間が4時間だ。長大だけどいろいろアクロバティックで飽きさせないタル・ベーラ(監督は彼の教え子である)に比べると間延びしてるし、スタイルはむしろダルデンヌ兄弟に近い。でも色彩を抑えたトーンで、いまの中国の格差社会(そこには上流階級と黒社会の接点もみえる)を、社会派的な告発口調に流れることなくじわじわと、でも容赦なく暴き出していく語り口はまさに知性派パンク。音楽もパンクじゃないけど温故知新なポスト・ロック的エレクトロニクスでカッコいい。理由は知らねど監督は、この作品の完成後に自殺したということだがもったいないよ。そんなところで評価されるべき作品じゃないだけにね。
自死した監督の思いを重ねて観ると、決して長くない4時間
上映時間234分の休憩ナシ。さすがにビビるも、冒頭の事件からただならぬ邪気が漂い、中国の地方都市の鬱屈に放り込まれる。当然のごとく、途中でダラダラ感じる時間もあるが、異様なまでの長回しや、同じ出来事を視点を変えて2通りで描く手法が、登場人物の心を伝えるドラマに効果を発揮。荒削りな印象も与えつつ、非凡な映像センスに何度もうなった。
完成後に29歳で自死をとげた監督の心情を重ねながら観ることで、スクリーンに映るものに、果てしない絶望や焦燥が宿るはずで、単純に映画そのものの評価を超えた何かが浮き上がる。そうした「鬼気」が4時間の体感を短くするのか。俳優たちの抑えた表情にも想像力を刺激され続けた。
歩きながら、歩き続ける方法を考える234分
234分という長さは、登場人物たちそれぞれがそれでも歩き続けている、ということを映し出すためだろう。彼らは歩き続け、カメラは彼らの背中のすぐ後ろからその姿を映し続けるが、彼らが見ているものには焦点を合わせない。そうした画面が長く続く。画面は常に青みがかった色で気温は低いが、それはこの世界がそういう場所だからだ。
そういう形で描かれる"ずっと歩き続けるための方法"についての映画でもある。29歳で自殺した監督はそれを探しあぐねたのか。映画では、ひとりが自分の方法を語り、別のひとりが別のやり方を実践する。その先を見ずにはいられなくなる。中国のポストロックバンド、ホァ・ルンの音楽がいい。