屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ (2019):映画短評
屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ (2019)ライター4人の平均評価: 3.8
弱者がさらなる弱者を虐げる地獄絵図
シリアル・キラーを題材にした映画は数あれども、これほど惨めで無残で絶望的な気分になる作品はなかなかないだろう。’70年代の西ドイツを震撼させた連続殺人鬼は、孤独で臆病で卑屈な小心者の非モテ男。夢も希望も金もなく性欲だけを持て余した彼は、若い女性にアプローチするだけの勇気も甲斐性もないため、自分よりも弱くて貧しくて行き場のない中高年の売春婦ばかりをゴミ溜めのような自宅へ連れ込み、まるで日頃の鬱憤を晴らすかのように凌辱し嬲り殺す。彼女たちにも若い青春時代があったこと、苦労を重ねた人生があったことにも想像が及ばないまま。弱者がさらなる弱者を虐げる地獄絵図。その風景は今もそこかしこに存在する。
画面から悪臭が漂ってきそうな怪作
冒頭から遺体処理で、実際に起きた事件を次々と見せていくファティ・アキン監督の大胆な手法に驚く。「なぜ彼(彼女)は事件を起こしたのか?」と犯人の心情を探らないので、見る側が連続殺人鬼ホンカに同情も共感も感じない作りだ。言動や汚部屋などでホンカの不愉快極まりない人間性を表現されていて、屋根裏部屋のシーンでは、画面から悪臭が漂ってきそうな雰囲気だ。オエッ。凡人では理解不可能なホンカの本性を暴く監督視線のおかげで、彼から肉扱いされる被害者女性たちの哀れな境遇に思いを寄せてしまう。戦後の復興に置いてきぼりにされた女性もいれば、戦争の傷をひきずる老女もいる。残酷な事件を残酷に描いた怪作だ。
ひたすら、酒と死体の臭いがする
『女は二度決断する』でダイアン・クルーガーの新たな魅力を開花されたファティ・アキン監督が、『僕たちは希望という名の列車に乗った』のイケメン、ヨナス・ダスラーを、おっさん殺人鬼へと変貌させた。『殺人に関する短いフィルム』を意識しているだけに、不穏な空気感のなか、孤独な男の殺人の記録は淡々と展開し、時折、挟まれるカウリスマキ監督作のようなシニカルな笑いも特徴的だ。その一方、主人公の背景がほとんど描かれないうえ、被害者となる娼婦に対する酒の力を借りた暴力描写があまりにリアルすぎることもあり、嫌悪感も抱く恐れアリ。にしても、ここまでスクリーンから酒と死体の臭いがしそうな映画も珍しい。
"殺人"が剥き出しになる
"殺人"が、剥き出しにされて目の前に置かれる。すると、その行為はただ汚く、死体は腐って臭い。この映画は、観客がフィクションで描かれる"殺人"に対して無意識のうちに抱いてしまうある種のロマンや美しさをまるごと取り払う。するとそこに何が残るのかを、画面が突きつけてくる。
それを見ているだけで悪臭が臭ってくるので、肉の腐敗臭の底に漂うかすかな甘さを嗅いだ気がするのは、流れてくる古風なポップソングの甘ったるさを嗅覚が匂いと誤認しているからだと自分に言い聞かせたくなる。
ちなみに「ヘアスプレー」のジョン・ウォータース監督恒例の"本年のベスト映画10本"2019年版の第8位に選ばれている。