リチャード・ジュエル (2019):映画短評
リチャード・ジュエル (2019)ライター6人の平均評価: 4.3
ヒーローらしからぬヒーローを待つのは?
サリー機長やクリス・カイル狙撃手ら実在するヒーローに魅了されているC・イースウッド監督がオリンピックに向けて綴った物語だ。アトランタ五輪中に爆発物を発見した警備員R・ジュエル(大勢の命を救った英雄)が思い込みの激しいFBI捜査官とメディアに吊し上げられる様が恐ろしい。犯人プロファイリングや事実を暴くはずの調査報道が常に正しいとは限らないのだ。ある意味、負け犬が権力に戦いを挑む物語であり、判官贔屓の私は、風変わりだったが故に容疑をかけられたジュエルに思い切り肩入れ。P・W・ハウザーがキャラにハマった演技を披露するし、ジュエルの弁護士を演じるS・ロックウェルが要所をピシッと締めている。
社会派のようで超エンタメに仕立ててしまう巨匠の余裕と凄み
爆破テロの容疑者にされた男。国家権力やマスコミとの闘いと、どう考えても「社会派」テーマが濃厚なのに、観ている間は完全にエンタメ的感覚で受け止めてしまう。そこに今作の魅力がある。
アクションのタイミングも含め、各シーンが、それぞれふさわしいテンポと間合いで展開する熟練の演出はもちろん、エンタメらしさの最大要因は主人公のキャスティング。体型も生かし、危なっかしく、どこかふざけているようで、じつは「まっとう」という高難度キャラを、過剰な表現をせずに見せ切ったP・W・ハウザーの「吸引力」は圧巻だ。弁護士の秘書などサブキャラも映画的に生き生きと見せる、巨匠の余裕の技で無意識に感動が積み重なっていく。
イーストウッドが唱える「人は見た目が9割」問題
30半ばにして実家暮らし、承認欲求が強すぎるボンクラに襲い掛かるFBIとメディアリンチの嵐! とにかく気の毒なのだが、イーストウッド監督は主人公の日頃の行いや付き合う友人など、自業自得なところもキッチリ描写。そんな彼に『マッシュ』の伍長レーダーのあだ名を付け、冤罪を訴える弁護士(ノリに乗ってるサム・ロックウェル!)との奇妙なバディムービーとしても楽しめ、随所に笑いの要素をブチ込む、あざとさに脱帽。そんな『ジェミニマン』と同じ人間が書いたと思えないほど、練りに練られた脚本ではあるが、事の発端となるオリヴィア・ワイルド演じる女性記者の顛末が、あまりにも噓臭いのが唯一引っかかる。
横暴な権力から弱者を救う、“奇跡”の絆
実話の映画化が続く近年のイーストウッド作品の中では英雄か犯罪者かを問われるキャラを描いた点で『ハドソン河の奇跡』に近い。しかし今回の主人公は、より普通人の色が強い、周囲に見下されている部類の人間だ。
面白いのは、そんな社会的弱者が弁護士という強者と友情を築く点。主人公は疑うことなく弁護士を頼り、最初は見下していた弁護士も、主人公の愚鈍なほどの純粋さを理解する。そんな絆のかたちを権力の横暴という社会的なテーマに溶け込ませたエンタメ性に、イーストウッドの才腕を垣間見た。
弱者は強者のために潰されるのが当たり前の世の中。そこで起きた奇跡はハドソン河のそれよりもドラマチックだ。必見。
匠の境地
イーストウッドの監督40作品目。前作『運び屋』の記憶も新しい中で、早々に新作映画を撮り上げてくるイーストウッド恐るべしというところです。
『運び屋』にも見て取れたシリアスとユーモアのバランスが絶妙で、かなり悲惨な場面であってもどこか笑いを誘います。
主人公のキャラクターに結構イライラさせられますが、それもまた、ラストに効いてきます。
役者で言えばアカデミー賞俳優となったサム・ロックウェルの演技が絶品です。オスカー俳優となったことで、いい意味で余裕が出てきました。
イーストウッドならでは。優れたストーリーをシンプルに語る
イーストウッドの監督としての最高の手腕は、まず、優れたストーリーを見抜くセンス。本人は「意図的でない」というものの、それは往々にして今の世の中の問題を反映する話。そしてそれを、最もふさわしい俳優で、シンプルに語るのだ。今作もまさにそんな映画。1996年のアトランタオリンピックを舞台にする今作は、主人公の簡単なバックグランドに触れたかと思うとすぐ本題に入り、彼が容疑者にされていく様子を追いながら、捜査のあり方、報道の倫理、偏見といった事柄に触れていく。来年90歳になる彼が、これからもできるだけ長くこういった作品を作り続けてくれることを願う。