ハニーボーイ (2019):映画短評
ハニーボーイ (2019)ライター7人の平均評価: 3.9
傷つけられても父の愛を求めずにはいられない息子の心情に涙
これは切ない。アルコール中毒でトラブルばかり起こすハリウッド俳優がリハビリ施設へ収容され、同じくアル中の父親から精神的な虐待を受け続けた自身の人気子役時代を振り返る…というお話なのだが、実はこれ、父親役を演じる俳優シャイア・ラブーフがアル中のリハビリの一環として書いた自伝的脚本の映画化だ。挫折ばかりの人生に疲れ果て、我が子の稼ぎで食っている自分への不甲斐なさを最愛の息子にぶつけてしまう父親。そんなダメ男でも息子にとって父親は父親。どれだけ傷つけられても愛情を求めずにはいられない。この映画自体が、ある意味でラブーフによる父親への愛憎相半ばするラブレターだ。その想いがたまらなく切ない。
問題行動が多かった俳優シャイアの禊作品
泥酔して劇場で暴れたり、盗作を指摘されたりとお騒がせが多かったシャイア・ラブーフ。天才子役と賞賛された彼の普通でない過去を自身で掘り起こした自伝映画で、一種の禊だろう。実際、主人公オーティスが依存症セラピーの一環で文章を書く場面がある。愛する息子に劣等感を味わされる毒父との機能不全な関係への憤りと報われない愛を持て余す少年の悲しみが胸に迫る。シャイアの生な感情が露呈するし、トラウマとなった父子関係の根本にある歪んだ感情を彼自身が演技で表現していて、物語にさらなる深みを与えた。父親役のシャイアはもちろん、オーティス役のN・ジュープとL・ヘッジスが複雑な心理を見事に表現している。
シャイア・ラブーフがずっと抱えてきた、大きすぎる傷
“スピルバーグの秘蔵っ子”として注目を浴びた頃も、シャイア・ラブーフはどこか影があり、典型的な若手スターとは違っていた。家が貧乏で、生活のために演技を始めたことは当時も語っていたが、それが実際どんな体験だったのかを打ち明けるのが今作。映画に出てくるのと同じく、ラブーフは、更生施設で父について書き、しかも父役と自分役を演じるよう指導された。それを脚本にし、父役も演じることにした今作は、完全にその延長。そんな辛い話を、彼に信頼を寄せられたアルマ・ハレルは、常に思いやりのある視点から語る。彼女だけでなく、今作では撮影監督、エディター、主要なプロデューサーも女性であることも特筆すべき。
トラウマの根源を自身が演じる“究極の荒療治”
『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』に続く、シャイア・ラブーフの優しいセラピー映画であり、やはり血は争えない毒父映画でもある。彼のトラウマの根源であるステージパパの父親をラブーフ本人が演じる“究極の荒療治”は興味深く、ノア・ジュープがルーカス・ヘッジに成長する、旬なキャスティングのバトンリレーも芝居も魅力的だ。ただ、ナターシャ・ブライエの撮影や詩的な作りなど、ハーモニー・コリン監督作を意識したようなタッチは好き嫌い分かれるところで、“なぜ、スピルバーグの秘蔵っ子だった実力派が、転落の道を辿ったのか?”というスキャンダラスなノリを期待すると、肩透かしを喰らうかもしれない。
自虐が極まった先に、新たな未来も開ける。シャイアの才能に感服
テニス界の悪童マッケンロー、『ピーナッツバター・ファルコン』と、自虐的キャラとことごとく一体化し、第2の絶好調期を迎えたシャイア・ラブーフ。自伝的要素も濃厚な今作は、ドキュメンタリーのように切なさと痛々しさを伴って胸を締めつける。
シャイアの俳優人生に興味なくとも、ハリウッドにおける人気子役の実情と、成長した後の苦悩を、じつにビビッドに伝えているのが今作の成功の要因。子供時代を演じるノア・ジュプには「こんなことやらせて大丈夫?」という演出も多々あって、ドリュー・バリモアやマコーレイ・カルキンなど天才子役の危機が頭をよぎり、このあたりもドキュメンタリーを観ているようで妙にスリリングなのである。
ふと、12歳の少年の目に映る世界が輝く
ノア・ジュープが父親に愛されたい12歳の少年を繊細に演じるだけで感動させられる。基本はシャイア・ラブーフが自ら脚本を描いて父親役を演じ、ハリウッドの人気子役とそのマネージャーの父親の複雑な関係を描く自伝的作品だが、内容が事実かどうかはどうでもよく、重要なのは、かつて父の愛を渇望する子供だった人物が問題を抱えた不器用な父親と息子の深い絆を描いたこと、その物語が見る者の胸に響くことだろう。さらに本作は、苦悶の日々の中、少年の目に映る世界がふとしたときに放つ輝き、その美しさをそのままスクリーンに映し出す。撮影は「ネオン・デーモン」のナターシャ・ブライエ。痛みだけではなく、喜びをも描いて味わい深い。
俺が本当に望むのは君と友だちになることさ
自分の子役時代を描く、というのはX・ドラン『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』があったが、S・ラブーフの場合、愛憎の対象は母ならぬ父。J・レノンっぽい風貌の「虐待親父」を自ら演じ(脚本も担当)、この映画自体がトラウマからの回復、親子関係の浄化として働く。映画と人生が重なり合う迫力と哀切。
「父と息子」は『エデンの東』など米映画の王道的な主題だ。しかし父が「敗者」であったらどうするか――というショービズ業界の光と影が、親子双方の自意識の捻れと複雑に絡む(FKAツイッグスは束の間の母性を補填)。まさにドンズバの選曲、B・ディラン“All I Really Want To Do”が深々胸に染みる。