わたしは金正男(キム・ジョンナム)を殺してない (2020):映画短評
わたしは金正男(キム・ジョンナム)を殺してない (2020)ライター4人の平均評価: 3.8
不安定なアジア情勢に翻弄された女性たちの地獄めぐり
2017年にマレーシアのクアラルンプール空港で起きた、北朝鮮最高指導者の兄・金正男の暗殺事件。その実行犯とされたベトナム人女性とインドネシア人女性が、どのような手口で暗殺者に仕立て上げられたのか、2人の裁判の過程を克明に追いながら詳らかにしていくドキュメンタリーだ。まさしく事実は小説よりも奇なり。豊かさに憧れる貧しい女性の心の隙に付け入る北朝鮮工作員の卑劣な手練手管も然ることながら、国家の威信のため是が非でも無実の女性たちを有罪に持ち込もうとする警察・検察の理不尽さは、飛躍的な経済発展を遂げる一方で強権的な政治が問題視されるマレーシアの暗部を浮き彫りにする。
監視カメラ解析から見えてくる“黒の組織”
「どっきり動画」撮影から始まる、世界を震撼させた闇に葬られた暗殺事件の全貌を、一見さんにも分かりやすく、ざっくり解説。SNS時代に高まる承認欲求を逆手に取ったような、いつ自身の身に起こるかもしれない恐怖はもちろん、実行犯である2人の女性の逆転裁判劇から、彼女たちのその後に密着するなど、なかなか興味深い構成だ。いろいろと感情を煽りまくるトゥーマッチな劇伴は賛否ありそうだが、これはそれでアリ! もちろん新事実は解明されないが、監視カメラの解析から見えてくる実行犯以外の男たちの不気味で現実味がない行動が、まるで「名探偵コナン」における“黒の組織”に見えてくるので、★おまけ。
北朝鮮による完全犯罪が成り立つまで
金正男暗殺を日本メディアはつぶさに追ったな〜と感心するほど新情報は少ないとはいえ、殺害を実行した女性二人の生い立ちや弁護チームの立場と思想が加わることでショッキングな事件に厚みが加わっている。特に弁護士たちの勇敢さに拍手を送りたくなった。国と国との関係性でスケープゴートにされた被告を、(裏で糸を引いたと思われる)北朝鮮を糾弾して守ろうとしたその姿勢たるや! そして危険だなと思ったのは、北朝鮮の暗殺部隊に簡単に操られてしまった女性たち。金持ちになりたい、スターになりたいという夢を持つのはいいけれど、政治に無関心すぎるととんでもない事態に巻き込まれるという警告になる作品だ。
弱者を切り捨てて、世界は色を失っていく
事件の流れはニュースで把握していたが、それでも興味深く見られたのは、報道されない部分を補い、起訴された女性ふたりの生に迫っているから。
国籍も異なり、面識もなかった彼女たちの間に芽生える絆のエピソードが興味深い。“他に分かり合える人がいない”という言葉はもちろん、若さや野心を見透かされ、権力に利用されてしまった女性たちの苦境が痛切に響く。
NETFLIX『キーパーズ』に続いて弱者の声に耳を傾け、真相を探ろうとしたR・ホワイト監督は返す刀で、現在の国際的な状況にも言及。死刑の恐怖に怯えながら2年以上を獄中で過ごしたヒロインのひとりの“世界はバラ色ではなかった”という言葉が、重い。