狂猿 (2021):映画短評
狂猿 (2021)ライター2人の平均評価: 4.5
中年の危機を迎えたデスマッチのカリスマに真の強さを垣間見る
これはプロレス・ファンでなくとも感じるところの多いドキュメンタリーだろう。レスラー仲間が「さすがにあそこまでは出来ない」と漏らすほど危険なデスマッチに次々と挑み、その狂暴ぶりからクレイジーモンキーとも呼ばれる葛西純だが、しかし私生活の彼は驚くほど冷静な常識人で、なおかつ穏やかで心優しい素朴な家庭人。リングの上で見せる「デスマッチのカリスマ」は、日々の弛まぬ努力と徹底したプロ根性によって作り上げられた偶像だ。そんな彼が40代半ばを迎えて目標を見失い、中年の危機に陥る。カメラの前で素直に愚痴や弱音をこぼし、時として情けない姿を晒すことも厭わない彼の背中に真の強さを垣間見た気がする。
NO MORE エンタテインメント休業
2019年の末から始まり、このドキュメンタリー映画は後半「マスクをつけた世界」へと完全以降する。前半には未曾有のコロナ禍が忍び寄る嫌な予兆が漂い、世界の位相が一変してしまう構成はまるでディストピアSFだ。これはライブ(生)で楽しむ文化の危機である。「不要不急」のスローガンと共にエンタメ産業は巨大な転換点を迎えてしまったのかもしれない。そんな中でデスマッチファイターのカリスマ、葛西純の新しい闘いが始まる。
ハードコアパンクならぬハードコアレスリング。『kocorono』(11年)など秀逸な音楽映画を手掛けてきた監督・川口潤の異種格闘技戦的な傑作。緊急事態下のショー・マスト・ゴー・オン!宣言だ。