ライトハウス (2019):映画短評
ライトハウス (2019)ライター7人の平均評価: 4.1
恐怖とパラノイアの世界を描くサイコロジカルな怪奇幻想譚
19世紀末のアメリカはニューイングランド地方。岩だらけの小さな孤島に佇む謎めいた灯台。高い給料に惹かれて灯台守の仕事に就いた若い青年。怪しげな言動を繰り返す高圧的なベテラン灯台守。やがて激しい嵐が訪れ、2人きりで島に取り残された彼らは徐々に狂っていく。さながらラヴクラフト×ポランスキーとも呼ぶべき恐怖とパラノイアの世界。スタンダードサイズのモノクロ映像がクラシカルな怪奇幻想ムードを高める。観客に安易な答えや解釈を許さないという点で好き嫌いの別れる映画だろうと思うが、作品全体を包む禍々しくて得体の知れない空気と主演俳優2人の凄まじい芝居に思わず引き込まれる。
狂気を煮詰めて狂い咲く、モノクロの美
ドイツ表現主義的な夜の映像も含め、モノクロの荒々しいビジュアルが美しい。それゆえに、ふたりの男の狂気も鮮烈なものとなる。
威圧的な年長者と、心に闇を抱えた若者。灯台守という孤独な仕事のストレスによってジワジワと浮かび上がる心理的圧迫は、ふたりの対立が深刻化するほど緊張感を増す。とりわけ、パティンソンの狂いっぷりに目を見張る。
男根のようにそびえる灯台、そこから発する光と夜の闇、容赦ない嵐、ゴツゴツとした岩場、性的なものを匂わせる人魚。さまざまなイメージを連ねたが狂気の表現。そういう意味では、監督の前作『ウィッチ』以上にインパクトがある。心を激しくかき乱す注目作。
まるで日本の「怪談」を観ているような…
ブォーン、ブォーンと、不穏なまでに大音量で響き続ける霧笛。しかし、鳴らす船は近くには見えない。この状況が、島の灯台守だけでなく、観ているこちらにも果てしない孤独感を醸造させる。
正方形に近いスタンダードサイズのスクリーンで、しかも左右対称の絵が多用されることで、その中心に蟻地獄のごとく吸い込まれ、何が現実なのか、そもそも“彼”は誰なのか、時間の感覚もわからなくなる。怪談・奇譚のおどろおどろしさで酩酊させながら、人魚や海の生物のヌメヌメした感触の中で、パティンソンの若き灯台守が性欲を吐き出す描写が、やけにリアルに際立つ。
やや冗長に感じられるシーンも、奇怪ワールドのメリハリと考えれば納得かも。
"光"が隠し持つ、もう一つの顔を暴き出す
光のもうひとつの顔を描く映画。なので、光のないところで光を放つ存在である、灯台を舞台に描かれる。光だけを描くため、映像はモノクロ。画面の画角は、モノクロのサイレント映画の時代と同じほぼ正方形。だが、この映画の光は闇の対立物ではなく、むしろ同類だ。このモノクロ映像の明暗は、この頃よく見る滑らかで微細なグラデーションではなく、完全な黒と完全な白が際立つ粗い質感を持つ。その荒々しさは、灯台という狭い閉鎖空間に閉じ込められた男2人の感情の昂まりの激しさと同じ。光に幻惑されてそれを独占する男と、その光になんとか触れようとする男。2人の男の対立が極限を超えていき、やがて神話のような光景が出現する。
焼き付けられた不穏
とにかく映画は不穏で不安定。
ピリピリとし続ける空気感が変形の画面に張りつめ続けて、映画を見進めるとどんどん息苦しくなっていきます。
様々な暗喩、隠喩は一見しただけでは拾い切れないほどの要素が散りばめられています。
何度も何度も見るにはとても苦しい思いをするのですが、中毒性のある物語は繰り返し鑑賞したくなる思いを抱かせます。
相変わらずの存在感のウィレム・デフォーはもちろんですがロバート・パティンソンの熱演も強烈な印象を抱かせます。
初期映画のごときシネクリチュール(映画書法)に痺れる!
全編モノクローム&スタンダードサイズ(厳密にはさらに真四角寄り)の硬質の画面に、樹木の下ならぬ孤島の灯台で待機する『ゴドーを待ちながら』のような(ほぼ)二人芝居が展開。『シャッターアイランド』(10年)、時に『異端の鳥』(19年)なども連想しつつ、海洋映画にラヴクラフト的な怪奇幻想が取り憑いた趣の、絶海の寓話が生成されていく。
ロバート・エガース監督が秀逸な古典的ゴシックホラー『ウィッチ』(15年)でデビューした時、ムルナウ『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)のリメイク企画の予定があると知り至極納得したのを想い出した。ウィレム・デフォー×ロバート・パティンソンの“狂演”も申し分なし!
心と肌で感じる恐怖
ホラーではなく心理スリラー。恐怖はじわじわと迫ってきて、狂気に達したかと思うとまた平静になったりする。「ウィッチ」のエガース兄弟は、実際にはたいして何も起こっていない中で観客の恐怖を高めていくのがうまい。残酷な場面もあるものの、それらにおいても「見せられている」というより「心と肌で感じさせられている」感じ。モノクロで、しかもワイドスクリーンでなくほぼ正方形のフォーマットで撮影したのも、ウィンスロー(パティンソン)が覚える閉塞感と絶望感をより迫り来るものにしている。デフォーとパティンソンはどちらも卓越した演技を見せるが、とりわけパティンソンは本当に興味深い俳優になってきたと感心させられた。