クローブヒッチ・キラー (2018):映画短評
クローブヒッチ・キラー (2018)ライター4人の平均評価: 3.3
本当に怖いのは連続殺人鬼か、それとも閉鎖的な地域社会か
アメリカの伝統を重んじる敬虔なキリスト教徒の白人ばかりが暮らす美しい田舎町。だが、そこは異なる価値観を拒む保守的かつ閉鎖的なコミュニティで、なおかつ10年前に陰惨な連続殺人事件が起きた場所だった。理想的な中流家庭に育った16歳の少年は、ふとしたことから隣人に尊敬される立派な父親の暗い秘密を知り、やがて彼が連続殺人事件の犯人ではないかとの疑念を深めていく。ヒッチコックの『疑惑の影』を彷彿とさせるサイコ・スリラー。ただし、こちらはドス黒い欲望を抱えた連続殺人鬼よりも、臭い物に蓋をする表層的で独善的な地域社会の薄気味悪さが際立つ。地味ながらも重たい説得力のある作品だ。
欲望を抑えすぎると過剰反応してしまうのかも?
教会に通う清く正しいボーイスカウトの心に芽生えた疑念が彼の人生を大きく変えてしまう。連続殺人事件の謎解きと思春期の少年少女の自分探しをミックスさせた展開で、平穏なはずの田舎町に潜む危険が浮き彫りにされる。監督は、アメリカ人が持つ清教徒的な道徳観の暗部をさらけ出したかったのかもしれない。犯人は早い段階でわかってしまうので驚きはないが、犯罪を暴いた側の選択と犯罪者の処遇がシニカルで興味深い。本作が長編デビューのD・スカイルズ監督の手堅い演出と役者陣の好演でキラリと光る作品となった。父親を演じるD・マクダーモットの自撮り場面は忘れ難い。
父親のキャラクターが謎を深め、緊張を高める
2017年、「荒野にて」と「ゲティ家の身代金」で大注目され、“リヴァー・フェニックスの再来”とまで称えられたチャーリー・プラマーがまたもや才能を発揮。もちろん彼も良いが、今作がうまくいったのには彼の父を演じるディラン・マクダーモットの力が大きい。熱心なキリスト教信者で、家族愛に満ちたこの父親は、一見、典型的なアメリカの田舎の男性。だが、どことなく奇妙なところもあり、「彼は犯人なのか?違うのか?」と思わせるのだ。そんなふうに、じっくり時間をかけて観客をふり回した挙句に待ち受ける展開はとんでもなくダーク。今作で長編監督デビューしたダンカン・スキルズが今後どんな作品を作っていくのかも気になる。
少年の静かな生活に恐怖がひたひたと忍び寄る
まだスマホがないケータイの時代、小さな町の長閑な日常、その中で突如出現する異常な事態。そのすべてが静かでおだやかな映像で描き出されて、恐ろしさがひたひたと忍び寄ってくる。思春期の少年がある人物を殺人犯ではないかと疑うようになるという映画は『ディスタービア』『アイム・ノット・シリアルキラー』など多々あるが、本作はその対象が"自分の父親"なので逃げ場がない。定番通り主人公の葛藤を経ての成長が描かれていくのだが、その成長はかなり過酷。16歳の主人公は『ゲティ家の身代金』で孫息子に扮したチャーリー・プラマー。路上を歩くカメを助ける純心な少年が、そのままではいられなくなっていくさまを細やかに演じる。