哀れなるものたち (2023):映画短評
哀れなるものたち (2023)ライター8人の平均評価: 4.6
ラストの音楽とエンドクレジットのデザインで泣きそうに!
初めに。ヒロインは姿を現わすと、いきなり橋から身を投げる。そして以後、折々のシチュエーションにて“落下”が象徴的な楔の描写となり、ドラマが大きく動いてゆく(その企てを締め括るように、或るキャラクターがボールを手放すや、ストンと地面に落ちる絶妙なタイミングの気持ちよさよ!)。
エマ・ストーン扮する再生ヒロイン(人造人間)は、一貫して“セルフプレジャー”を追求しており、それが自由意志をめぐる試行錯誤と、飽くなき冒険へと繋がってゆく。映画が与えてくる衝撃、質感としてはキューブリックの『時計じかけのオレンジ』(71)を並べたい。観ている間中、グワングワンと揺さぶられた脳が何重にも反転を繰り返すのだ。
ギリシャと英国の最強接合体!
凄すぎ! スコットランドの作家A・グレイの破格の小説を高い踏み台に、『女王陛下のお気に入り』チームが濃厚な特殊冒険譚を産み出した。奇才Y・ランティモス監督は予算がつくほど凄くなるタイプだ。彼はギリシャ出身だが、起点のテキストである『フランケンシュタイン』を始め、美学はまさに英国系。K・ラッセルやP・グリーナウェイの絶頂点のさらに上に立つ。
古代の原型的な神話の強度をゴリゴリに備えつつ、思想は最新のもの。フェミニズムが重要な主題なのは間違いないが、ポリコレ優等生的な教条系ではない。欲望の深い沼に踏み込む人間と世界の大胆な探究だ。プロデュースも務める主演E・ストーンは現代映画のキーパーソン!
映画化されたのが今だったのはパーフェクト
原作の出版は1992年、ランティモスが権利を買ったのは2011年。時代の先を行くこの話が、「#MeToo」「#TimesUp」で女性の権利への認識が高まった今映画化されたのは完璧。体は大人だが脳は胎児という主人公を通して世の中を見つめていくというストーリー上、大胆な性描写は重要。かっこよくもきれいにも見えない状況にも常に堂々と飛び込むエマ・ストーンだが、今回ここまでやったのにはあらためて感心する。ベラの成長の過程は衣装でも細かく表現されるし、最初はモノクロだったロンドンも最後に戻ってくる時はカラーというのも効果的。シュールリアルさのあるプロダクションデザインもぴったりでどこを見ても完成度高し。
哀しさがやがて・・・
邦題の”哀れなる”、原題の”POOR”という言葉からイメージが固定されそうですが、これは一種のミスリードで何とも言えないブラックユーモア、ダークファンタジー映画になっています。松尾芭蕉の”おもしろうてやがて悲しき”という表現を思い出しました。ヨルゴス・ランティモスとエマ・ストーンはよほどウマが合うのか、次でも競作します。すべてのシーンが見逃し厳禁という密度の濃さで、正直見終わると大変疲れました。賞レースを賑わしているエマ・ストーンはもちろんですが、奇妙な保護者を演じるウィレム・デフォーがまた最高でした。
濃厚すぎるR18+のSF冒険譚
『女王陛下のお気に入り』でメジャースタジオに魂を売った感もあったヨルゴス・ランティモス監督だったが、本作を撮るためのステップに過ぎなかったと捉えると、なかなか興味深い。一言でいえば、スチームパンクな世界観で展開される『フランケンシュタイン』×『エマニエル夫人』。プロデューサーを兼任したエマ・ストーンが身体張りまくる濃厚すぎるほどR18+のSF冒険譚であり、格差社会の描写やヒロインに翻弄される男たちの哀れな姿など、随所にみられる『メトロポリス』オマージュがピリリと効いてくる。計算された映像処理など、アートの極みとしての見応えもあり、『バービー』にハマれなかった人ほど、ハマる予感大!
極上アートの装丁で、人間の欲望と骨太テーマを込めた匠の技
胎児の脳を移植されて蘇生するというシュールな設定を、『ロブスター』での人間の動物化同様、ランティモスは比喩的に描くかと思いきや、主人公ベラの「肉体は大人、精神は赤ん坊」状態をリアルに見せる冒頭から、こちらの心をかき乱してくる。
美術や衣装、映像全体はクラシカルなムードで“おしゃれ”な映画を観ている感覚にさせながら、脳裏にやきつくのが性にまつわる描写というのが、この監督らしい。
エマ・ストーンは、数々のセンセーショナルを極めたシーンに対し、「心が子供」という純情を盾にして、一切の躊躇もなし。文字どおり肉体を張る姿勢に正直びっくりだが、これこそ俳優の鑑(かがみ)だと誰もがリスペクトするのでは?
ゴシックとモダンの共存を徹底的にビジュアル化
ゴシックとモダンの共存。ヴィクトリア朝風世界で天才外科医により生命を得た、知識も記憶もない胎児の脳を持つ若い女性の冒険を描く、フランケンシュタインもの。先入観を持たない彼女は、何にも束縛されずに行動する。設定はゴシック、主人公の意識はモダン。そこに笑いを加味。それを映像とデザインが徹底的にビジュアルで表現する。ゴシック映画風の粒子の粗いモノクロ映像と、人工着色風のカラー映像。ホラー様式の大邸宅で、主人公の衣服は厚手の上質な絹の手触りだが、裾の丈は膝上。音楽は、ロックバンド、ブラック・ミディとの共作もあるジャースキン・フェンドリックス。ゴシックとモダンのどちらにも属さず、不穏に響く。
きわめて完成度の高い、現代の寓話
ランティモス監督作品らしく、とんでもないモノを観てしまった…という第一印象。これがあとからジワジワとシミてくる。
“フランケンシュタイン”を思わせる設定に、“怪物”が美女で、博士の側がスカーフェイスというヒネリは面白いし、モノクロからカラーに転じるやセット撮影のシュールな空気が映える映像はフェリーニ作品のように幻惑的。W・デフォーら俳優陣のアクの強さも魅力を発し、とにかく隙のないつくり。
何より、原作に惚れ込んで製作を兼任したE・ストーンの印象は強烈。大人の姿で、赤子から成熟していく女性の生を体現しつつ、男権&格差社会の現実を見せつけ、現代の寓話として着地させた。見応えアリ!