僕らの世界が交わるまで (2022):映画短評
僕らの世界が交わるまで (2022)ライター4人の平均評価: 4.5
自己愛が強すぎると、生きるのがツラくなる
俳優J・アイゼンバーグは主演作『ソーシャル・ネットワーク』のように繊細な演技で知られているが、初の長編監督作となる本作でも細やかな演出を見せてくれる。
社会活動に熱心な母と動画配信に夢中の息子。そんな両者の葛藤をユーモアを交えつつ丁寧に描出。人助けが行き過ぎる前者も、SNSではなく現実を見つめる女子に恋した後者も、自分の世界に溺れていることが共通点。“ふたりとも自己愛が強すぎる”と、彼らの夫(父)は言うが、その問題がそのまま母と子の苦悶に表われたと言えよう。
母親役のJ・ムーアはもちろんだが、息子を演じたF・ウォルフハードの、イケメンなのにユルく映る妙演も印象に残る。
イタい人たちに自分が重なり、やがて愛おしくなるマジック
5年前、J・アイゼンバーグに取材したら「監督はまだ当分先」と言ってたが、あっさりこうして快作を撮るのが彼らしい。主人公も監督の分身のようなセリフ回しなのが微笑ましい。
フォロワー数を自慢するしかない自称・ミュージシャンの高校生は知識少なく薄っぺらくて、ひたすら「イタい」し、母も周囲に自分の価値観を押し付ける、明らかに「空回り」キャラ。ともに自分本位すぎる2人を監督は冷静に見つめつつ、ふとした瞬間に激しいまで共感を誘う演出をぶっこんでくる。そのメリハリが映画として的確。やがて観ているこちらも自分のコンプレックスと向き合い、心がヒリヒリする瞬間が何度も。
音楽の使い方もオーソドックスだが映画的。
ジェシー・アイゼンバーグの脚本がリアル
ジェシー・アイゼンバーグの脚本にうならされる。どこかうまくいかない母親と息子の微妙にねじれた関係が、第三者から見たら笑えるような何気ない出来事の積み重ねで描かれていく。SNSで自作の曲を歌ってリスナーに語りかける息子は、学校のランチタイムでは周囲の反応がまるで見えない。社会奉仕に熱心な母親の乗る車のサイズは、家族用ではなく一人用。そうしたさりげない表現で、人物像がリアルに描き出されていく。
フィン・ウォルフハード演じる息子が歌う曲の数々は、アイゼンバーグが最初に書き、ミュージシャンでもあるウォルフハードと本作の音楽のエミール・モッセリが加わって共作したもので、素朴な味わいがいい感じ。
ニッチなリアルを細やかに描く「米インディーズ」のお手本!
あのジェシー・アイゼンバーグがオリジナル脚本で初監督。X世代の母親とZ世代の息子、両側の心情を程良い距離感で見つめつつ、世代間ギャップに加えてクラスタ間の衝突(政治的に意識の高い面々とノンポリ)も丁寧に描く。すれ違いつつ結局は似た者同士の親子が相似形のドラマを辿る作劇や、気の利いた台詞など、どこを斬っても良い出来映えだ。
アイゼンバーグの出演作では『イカとクジラ』(05年)に近い世界で、中産階級の白人家庭の葛藤を掘ること自体がゼロ年代っぽい。むしろ今では稀有だろう。音楽評論家アミリ・バラカなどの小ネタ使いも含め、NY~アメリカン・インディーズの王道的系譜が現在に延長された見本の如き秀作。