ジョイランド わたしの願い (2022):映画短評
ジョイランド わたしの願い (2022)ライター3人の平均評価: 4.3
男も女も不幸にする家父長制の呪縛と抑圧
パキスタンの近代的な大都会ラホール、3世代が同居する中産階級の大家族。優しくて大人しい無職の次男は「男なら真っ当な職に就いて、さっさと跡継ぎの息子を作れ」とどやされ、代わりに美容院で働く次男の嫁が仕事に生きがいを感じる中、その次男が世間的にあまり誇らしいとは言えない職業に就いたことから様々な波紋が広がる。伝統的な家父長制や家族主義の価値観が、性別に関係なく誰ひとりとして幸せにしないという現実を描いた作品。キーパーソンとなるトランス女性の「黙らない、屈しない、妥協しない」という強靭な生きざまに、声をあげて立ち向かうことの重要性が集約される。保守的な価値観の根強い日本でも他人事ではない話だ。
登場人物が感じる歓びと開放感が、映像から溢れ出る
ジョイランドとは、女性2人が夜に1度だけ行く、移動式遊園地の名称。日常生活から切り離されたその場所で、光りながら高速で動く物に乗る2人が、その時だけ感じる開放感、歓び、愉しさが、映像から溢れ出て、放出される輝きに圧倒される。
パキスタンの都市ラホール、一つの家で暮らす老いた父親、長男一家と次男夫婦の大家族。家長制度、性差別、同性愛、偏見など、人々は多様な問題の中で生きている。そうした物語を紡ぎ出していく光景が、狭い路地も、雑然とした中庭も、街灯の光が差し込む室内も、どのシーンでも、撮影監督ジョー・サーデによる映像が細かな色調と陰影を捉えて美しく、静かな余韻を残す。
時代の動きを実感する
日本で劇場公開される事の稀なパキスタン映画から傑作が届いた(2022年作品)。91年生の新鋭監督サーイム・サーディクの自己投影も大きい物語で、封建的な家父長制の抑圧を痛烈に描く。主人公ハイダルの葛藤を主軸にしながら、旧来の男性性を批評的に対象化する複数の視座が強く浮かび上がる構造だ。
『モンキーマン』にも登場したヒジュラのコミュニティの様相が、トランスジェンダーのダンサーのビバを通して提示される。ハイダルとビバの恋愛にまつわる性的な軋轢の描き方も微に入り細を穿つものだ。ハイダルと妻ムムターズのパートナーシップにも新しい愛の形の可能性がある。欧米型よりむしろ先進的要素が多いようにも思える一本。