Back to Black エイミーのすべて (2024):映画短評
Back to Black エイミーのすべて (2024)ライター2人の平均評価: 3.5
小綺麗にまとめられた物足りないバージョン
たとえばルース・ベイダー・ギンズバーグがそうだが、同じテーマですでに優れたドキュメンタリーがある場合、役者に演じさせたバージョンは、よほどユニークな視点を持っていないかぎり弱い。今作も、どうしても「AMY エイミー」と比べてしまった。彼女の遺族が製作を依頼したこともあってか、複雑な関係にあった父の描かれ方など、いろいろな部分が小綺麗にされたのが気になる。歌をほぼ自分でこなしたという主演のマリサ・アベラが全力を尽くしたのは伝わってくるし、ジャック・オコンネルとの相性には信憑性があるが、エイミーについての新たな発見も、サム・テイラー=ジョンソンらしさもなく、なんとも物足りない。
ドキュメンタリーとは別の人物像を描く
故エイミー・ワインハウスを描いた映像作品には、オスカー受賞のドキュメンタリー映画『AMY エイミー』(2015)があるが、にもかかわらず、サム・テイラー=ジョンソン監督が、なぜ彼女の映画を撮らずにいられなかったのかは、本作を見るとよく分かる。
生前のゴシップ記事では、お騒がせ者や、誰かや何かの犠牲者として描かれがちだった彼女を、この映画はひとりの懸命に生きた人間として描く。彼女の父親や恋人の魅力的な一面も見せる。祖母との関係も細やかに描写する。何より、さまざまな事態に直面したときに彼女の中で湧き上がる感情が、生々しくむき出しに描かれて胸を打つ。ドキュメンタリーとは違う彼女の人物像が鮮烈。