悪は存在しない (2023):映画短評
悪は存在しない (2023)ライター6人の平均評価: 4.3
西部劇の末裔、対話の可能性、人間の原罪
音楽・石橋英子の提案から始まった濱口竜介の新作は、現代日本を舞台にした西部劇の派生形とまず言えるだろう。山男の巧(大美賀均)は自らを「開拓三世」だと述べる。「この土地の者は、ある意味皆よそ者なんだ。問題はバランスだ」。ここから外圧を掛ける会社組織2名の個としての主体に切り返しが起こる展開が見事だ。
全体は三楽章仕立て。ホップ、ステップでムンジウの『ヨーロッパ新世紀』やロメールの『木と市長と文化会館』等を彷彿させつつ、「人間中心の問題」から「自然vs人間」の原型的な主題の領域へジャンプアップする。「開拓」の意味を拡張させつつ、不気味な映画の肌触りや魔に足を踏み込む様が極めてスリリングだ。
悪なんて存在しないし、善もまた存在しない
ラストあたりの展開をめぐって、さぞかし様々な「考察」が活性化しているのだろうが、あまり真面目に考えるのもどうかと思う。まあ、濱口竜介監督だからこそ用意周到な謎に運ばれ、人は思わず真剣に盛り上がってしまうのだが。“謎かけの主”は、映画を駆動させる石橋英子の音像(サウンドデザイン)と共に登場する。代々、山間地で暮らす巧(たくみ)という男と、その娘の花だ。
巧は劇中、自称した通り、あらゆる局面で「便利屋」としての顔を見せる。それを「代行業」としてもいいだろう。しかし何の? 地域住民の。そして禍々しき自然の。バランサーを担った存在。結果、田舎ホラー化するのが最高だが、寓意が過ぎているという印象も。
気づくと、息をひそめて画面に見入っている
カメラが、そこで起きていることに耳を澄ましている。その出来事が語りかけてくることを、聞き逃すまいとしている。1シーンが長く、手持ちではなく定点に固定されたカメラは、何かにズームすることなく、レンズの前にあるものを静かに撮り続け、そこで生じる音、人々の会話を録り続ける。気づくと、こちらもカメラ同様、息をひそめて、目の前で起きていることに見入っている。
厳しい自然と共存して生きる人々の土地に、開発業者がやってくるが、経営者は補助金が必要なだけで、説明に来た社員2人も仕事をしているのみ。悪意はなくても取り返しのつかない事態は起きる。まだ雪の残る高原の冷たく清澄な大気が胸に沁みる。
余韻どころじゃない刺激的な映像体験
自然豊かな土地を舞台に、よそ者による介入が波紋を引き起こし、衝撃的なクライマックスへ……。まさに『ヨーロッパ新世紀』や『理想郷』に通じる社会派ドラマともいえるのだが、そこは一筋縄ではいかない濱口竜介監督作。今回も平坦なセリフ回しによって、ときにユーモラスで、ときに緊迫感溢れる会話劇が肝となっているが、企画の発端となった石橋英子による音楽と北川喜雄による撮影のシンクロ率がとんでもないことに! そのため、今回もドライブとタバコがキーワードになっているなか、意味深で魔法のようなカットの連続に息を呑む。余韻どころじゃない刺激的な映像体験を求めるなら是非!
久しぶりに映画に突き放されてました
久しぶりに突き放されて終わる映画でした。いつの頃から伏線や描写は回収されるものということが決まりごとの様になっていましたが、こういう映画もあっていいんだよなと改めて思わせてくれる一本でした。
全編に渡って映し出される自然の雄大さ、美しさが非常に映えて見えて、その分、そこに登場する人間の小ささ、行いの些末さを感じさせる形になっています。見た人同士でいろいろと意見交換がしたくなる一本です。
対話シーンの冴えわたる演出で気がつけば深みにハマっていた
ドラマの内容はミニマムながら、やや奇妙な方向に掘り下げて、意外な深さに溺れさせる…。そんな濱口作品の狂気にまた陶酔。
住民と、そこへの侵入者というシンプルな対立構造も、タイトルが示すとおり、その関係性が一筋縄ではない流れになっていく瞬間、妙な快感が伴う。理屈では表現できないこの“感覚”が映画の醍醐味。今回も車のシーンの吸引力が異常レベル!
主人公の巧のセリフが過剰なまでに“棒読み”なのも途中から意図的だと納得できるし、何より海外で字幕で観る人にどのように聴こえているのか興味深い。
観終わった後、果てしなく想像力が広がる作りに少し“あざとさ”も感じつつ、しっかり警鐘を伝える姿勢が映画作家らしい。