愛に乱暴 (2024):映画短評
愛に乱暴 (2024)ライター3人の平均評価: 4
静かに壊れていく江口のりこが圧巻
8年前に結婚して家庭に入った専業主婦。しかし子宝に恵まれぬため夫婦関係はすっかり冷え切り、隣に住む姑との関係も良好とはいえない。まるで「砂の城」のように脆い平和な日常。そんな、あまりにも不安定な自分の居場所を守らんと、「憧れの素敵な奥さま」を完璧に演じようとするヒロインだが、しかし必死になって頑張れば頑張るほど周囲との溝は深まり、些細な不協和音の積み重ねが彼女を精神的に追い詰めてしまう。愛という不確かなものにすがりつき、やがて自分自身を見失って暴走していく女性の物語。それは、先の見えない不安と閉塞感に包まれた現代日本社会の写し鏡とも言えよう。静かに壊れていく江口のりこがまた圧巻だ。
“乱暴”な江口のりこもスゴい!
なるほど、これは“乱暴”な愛の物語だ。だからこそ面白い。
平穏を保とうと頑張り過ぎるあまり、ジワジワと壊れていく主婦の日常は夫の不貞という事実の発覚により一気に崩壊。火災のイメージやチェーンソーの投入など、家庭劇にはあって欲しくないシーンの挿入は、ヒロインの心の崩壊を物語っているかのよう。
それにしても、改めて江口のりこという女優が怪物であることを思い知る。『あまろっく』『お母さんが一緒』とは、まったく振り幅が異なる神経衰弱ぎりぎりの怪演。年明けの映画賞レース、主演女優は彼女に独占して欲しい。
原作の難しいパートも敢闘のアレンジ。後味は似て非なり
吉田修一のこの原作は、読む者に大きな「誤解」を与えるところが魅力。映画にするには難しいその表現が変化球でうまく脚色されたので、可能なら原作→映画の順での体験を推奨したい。
そもそも自身のイメージを突き崩すことが得意な江口のりこも、本作はそのハードルの高さが想像できる。敢闘演技を目撃した気分。一方で小泉孝太郎の役との一体感は驚きのレベルだった。
原作もそうだが、物語が終わって登場人物の心情が解せないモヤモヤは残る。とくに主人公には劇中で「そこまでするか?」の疑問行動もあるのだが、家族内や会社での本音と建前などリアル生活者にグサッとくる描写が丁寧なので、日常の中の落とし穴に素直に戦慄してしまう。