ザ・サークル (2017):映画短評
ザ・サークル (2017)ライター6人の平均評価: 3.3
SNS上の責任と無責任を問うネット版『ウォール街』
世界の透明化を目指すSNSが人気を博している……という設定に現実感があるかどうかはともかく、絵空事の中にも確かに現実はある。そういう意味で、興味深く見た。
“フォロワーへの責任”という言葉が劇中に出てくるが、それはどれほどの重みがあるのだろう? 一方では、“炎上”をもたらす無責任なフォロワー像が見てとれる。SNSで人と関わることの責任について考えさせるという点に、この映画の重みがある。
ネット企業の内幕に関しておざなりに処理している点はドラマ的に気になったが、E・ワトソンのナチュラルな演技が光り、ネット依存者の成長劇として楽しめた。SNS版『ウォール街』といった感じの力作。
ユートピア的な理想主義につけ込んだ洗脳の怖さ
ツイッターやインスタグラムなどのSNSを介し、世界中の人々が自分の私生活を曝け出す昨今。そんな相互監視社会とも呼ぶべき現代の世相を憂い、人間のプライバシーを奪うテクノロジーの未来に警鐘を鳴らす映画だが、同時に行き過ぎた理想主義の危険性を描く作品でもある。
あらゆる情報を共有して世界をひとつにすれば誰もが平等で幸せになれる。情報を透明化すれば政治家の汚職やテロなどの犯罪を防げる。トム・ハンクス演じるカリスマIT実業家の語るユートピア論は、まるで新興宗教の常套句であり、おのずと別の思惑が浮かび上がる。少なからず脚本に穴があることは否めないが、理想主義につけ込んだ洗脳の怖さは十分に伝わるだろう。
多数のタイムリーな問題を提起するも、リアリティが薄い
ハリウッドの大物が隠してきたセクハラが突然にして暴露されている今だけに、「秘密は嘘」「すべてがさらされていれば、最高のバージョンの自分でいられる」など、この映画が触れることは、まさにタイムリーに感じた。テクノロジーの進化とプライバシー問題の葛藤や、巨大なテク会社が社会を支配していくことなども、熱心に語られてきていることだ。だが、そういうことを挙げても、深く突っ込むことはせず、話の展開にもリアリティが薄い。もっと良い映画になりえたはずだと思うと残念。
繋がりすぎた社会で、行き過ぎた承認欲求がもたらす人間の危うさ
究極のSNS追求のため、24時間365日をネット上に公開し全てを透明化する――何やら新興宗教めいたIT企業が提示するこの理念は胡散臭い。『トゥルーマン・ショー』では生まれた時から衆人環視下にあったが、ここでは自ら望んでプライバシーを晒す。仕事のため、承認欲求を満たすため。リアリティのある展開だ。SNSが悪魔の発明品なのではなく、活用する人間の心理にこそ危うさは潜むという普遍的な真理を踏まえている。繋がることは大切だが、何もそれが最上位概念ではない。ただしラスト15分、物語の収束の付け方は、あまりにも人工的だ。そしてこの映画を観終えても、プライバシーをアップすることはやめる者はいないだろう。
愛社精神もすぎるとカルトになる!
アマゾンやツイッター、アップルなどの最先端IT企業は給与だけでなく福利厚生も職場環境もとても素晴らしいと聞く。主人公メイが入社するサークル社もそんなイメージ。でも全社集会で「シェアするのは思いやり、秘密は嘘」なんて社訓を嬉々として唱える社員の姿がカルト教団っぽく、背筋がぞぞ〜つ。私自身がSNSに入れ込んでないため、私生活を世界に晒すメイの気持ちも感想を書き込むファン(?)の気持ちも理解しがたい。メイをはじめ、ローテク派の幼馴染み、会社の方針についていけず辞職する親友、ジョブズっぽいCEOと人物造形が薄っぺらいのも難点か。監視社会の危険性に触れてはいるが、教訓話になってない点も不思議だ。なぜ?
テクノロジーは「進歩」というより、良さも醜さも「拡張」する
小説の長さからすれば、本当はドラマのミニシリーズにした方が収まりは良いとは思う。だが何より原作者デイヴ・エガーズが自ら脚本に参加し、変更を加えつつコンパクトにまとめてくれた別ヴァージョンとして充分佳作の域だ。トム&エマもやはり良いし、企業内フェスにはベックが出演!
さらにこの映画版で主題もシンプルに整理された。要は、我々人間はいつも「古くて新しい問題」に悩まされるってこと。ソーシャルメディアが結局はムラ社会の全体主義を推し進めるという残念すぎる反転。その意味で進歩史観へのカウンターの位置に配される、原作よりもイケメン度が格段に上がったマーサー青年(E・コルトレーン)の存在は大きい。