沈黙 -サイレンス- (2017):映画短評
沈黙 -サイレンス- (2017)ライター4人の平均評価: 4.3
最後にいろんな音が聞こえてくる
信念を持つということを巡る物語。主人公を取り巻く状況がどんどん変わり、彼に降りかかる苦難の種類が変わっていくので、そのたびに、主人公が何を信じて何を守っているのかを問いかけずにはいられず、その答を考えずにはいられない。なので長尺なのに飽きさせない。
印象的なのは、絵に描かれたキリストの顔を用いた演出。この絵の顔は、主人公が自分の顔に重ねて見てしまう場面もあるが、それだけではなく、同じような構図のアップの画面があることも手伝って、かたくなな司祭と、何度も踏み絵を踏む信徒という、対照的な二者の顔にも重なるように見えてくる。映画の最後の音響演出が余韻を残す。
さんざん待たされた甲斐はあった
スコセッシ監督の前作が『ウルフ・オブ・ウォールストリート』だったことが信じられないほど、静寂に満ちた160分である。監督の原作に対する、ただならぬリスペクトに引っ張られるかように、『アメスパ』での失敗以降、もう後がないと感じた(?)アンドリュー・ガーフィールドの鬼気迫る演技、暗すぎた篠田正浩監督版とは比にならないほど美しいイニャリトゥ組、ロドリゴ・プリエトの撮影など、すべてに圧倒される。しかも、ハリウッド大作にありがちな、奇妙な日本描写もないうえ、イッセー尾形から小松菜々まで、日本人キャストがしっかり爪痕を残しているのも嬉しい。ただ、体調が優れないときに観ることだけはオススメしない。
信者・塚本晋也の水磔は、気高さとむごさを同時に表わす名場面
ひとつの「正しさ」を求めれば悲劇が起こることを、スコセッシは宗教性を超え普遍的に描き出す。異なる価値観をもつ者へ「唯一の真理」を伝えるのは傲慢ではなかったか。弾圧されながらも、心の内奥へと踏み入るアンドリュー・ガーフィールドの視点が、深い思索へといざなう。鵺のような窪塚洋介は民の弱さを、理にかなった浅野忠信は役人の無慈悲を、善なる顔も覗かせ暴力を正当化する狡猾なイッセー尾形が権力を、体現する。荒波の中で磔になる塚本晋也の苦悶が凄まじい。信じる者の気高さと排斥する者のむごさを同時に表わす名場面。不寛容な「沼地」は、何も江戸初期の日本ばかりではない。これは過去の宗教画ではなく、現代の肖像画だ。
『戦メリ』以来と言えるハイレベルな和洋混合!
まさにバリバリの完全映画化! 篠田正浩監督の71年版は遠藤周作自身も脚本に参加しているが、それでも簡略化は免れなかったのだから、この「原作通り」がいかに凄いことか。すると『沈黙』がキリスト教(と仏教)をめぐってに留まらず、「沼地」としての日本論、転向、植民地主義など多様な主題を内包したテキストだということも明快に判る。
30年近く前の『最後の誘惑』よりむしろ上がってるスコセッシのパワーも恐るべしだが、特筆すべきはやはり日本人キャスト。全員に拍手。特に後半はイッセー尾形や浅野忠信の巧さが際立つが、前半は塚本晋也の壮絶さ。『野火』の延長線にあるような命がけのリアリティ。ひたすら敬服!