キャロル (2015):映画短評
キャロル (2015)ライター6人の平均評価: 4.2
オードリーへの切ないラブレターか!?
保守主義に対するアウトサイダーの反抗。トッド・ヘインズが描く愛は、つねにそれを下地にしているが、このパトリシア・ハイスミスの原作も自分サイドに巧く引き寄せてみせた。
リベラルな若い女性と上流マナーにウンザリしている人妻の関係が恋へと発展。道ならぬ関係をとおして社会の窮屈さが見えてくるのはヘインズ作品らしいところだが、これまで以上にラズストーリーの切なさに重きを置いている点が妙味。
役者ではブランシェットもイイが、より印象的なのは相手役のルーニー・マーラ。聡明さと憂鬱がにじむ表情と、装いは若きオードリー・ヘプバーンとよく似ている。『噂の二人』へのオマージュか……と、ふと頭をよぎった。
タブーや隔たりを乗り越える熱情が、美しきアートに昇華する。
映画とはストーリーばかりを追うものではない。
人物の感情の揺らぎや高まりを共有することで、心を豊かにするものだ。
この映画は、観る者の美意識の持ちようや、恋愛経験の深度を問う。
まだ街よりも人の存在が際立っていた、50年代初めのニューヨーク。
淡い画調の中で、美術や衣装が彼女たちの覆い隠した想いを表わす。
内側に秘められていた身も心も、次第に露わにされていく。
タブーや隔たりを乗り越える熱情は、美しきアートに昇華する。
映画とはパッションであることを思い出させてくれる、至高の体験だ。
勝手な予想を裏切るピュアなラブストーリー
P・ハイスミス原作だし、ケイト・ブランシェット演じるキャロルがまた二心ありそうだしで、事件待ちしていたら…。自分らしく生きようとする女性の心情が伝わる恋愛ドラマが展開されてびっくり。同性愛が悪だった50年代、周囲の不寛容にヒロインたちが苦悩する様が切ない。特に長らく抑制してきた本当の自分をテレーズとの出会いで解き放つキャロルの怒濤の変貌ぶりに引き込まれた。さすがはケイト様。彼女が開花する無邪気なテレーズ役のルーニー・マラとの掛け合いの裏にある思いの複雑さにうなる。T・ヘインズ監督が『エデンより彼方へ』でも見せた映像美へのこだわりは今回も健在で、役者陣が着こなす衣装や舞台美術からも目が離せない。
2人の人間がどうしようもなく恋をする
2人の人間が出会って、どうしようもなく恋をする。それをケイト・ブランシェットとルーニー・マーラが演じる。それだけで見応えがある。片方が書く別れの手紙の文面、「あなたは別れの理由が欲しいだろうが、何を言っても意味はない。いつか分かってくれたら、また会おう」に、この恋の強さ、潔さは明らかだ。
派手な出来事は起きない。関係は静かに深まり、出来事はみな、静かに生じる。名手サンディ・パウエルが担当した1950年代の女性の衣装は、質の良い布地で身体に沿って仕立て上げられた、上質な衣服。その服が美しく整っているのは、その下に収まりきらなくなりそうな情熱を押し隠すためだ。
118分間、映像マジックに酔いしれる
名義は違えど、パトリシア・ハイスミス原作=ミステリーやサスペンスを期待すると、この展開に戸惑を覚えてしまうほど、決して斬新なストーリーではない。だが、衣装・美術・音楽など、トッド・ヘインズ監督らしいこだわりを感じるディテールの数々。スーパー16で撮影によって醸し出される、1950年代のクラシカルなニューヨークの風景。そして、スクリーンから溢れ出す対照的な女優2人の色香…。ラストの余韻もたっぷりで、118分どっぷり映像マジックに酔いしれる、いわゆるオトナの映画。間違いなく、ヘインズ監督作でベストといえるが、2人と同時代に生きた男と男を描いた『ディーン、君がいた瞬間』と観比べるのも一興だろう。
保守的な社会の無言の圧力に抵抗する恋人たちの物語
‘50年代を舞台にしたトッド・ヘインズ作品というと『エデンより彼方に』を思い出すが、今回は少なからず印象が異なる。あちらがダグラス・サークだとすると、こちらはエリア・カザンかシドニー・ルメット。よりリアルな時代性が再現される。
物語も純粋なラブストーリーだ。愛し合うのは女性同士だが、しかし同性愛やフェミニズムはことさら強調されない。モラルや規範の名のもと人間の自然な感情や意思を妨げる社会、その無言の圧力に抵抗する恋人たちの姿が描かれるのだ。
さらに、2人の間には階級や年齢差の壁が立ちふさがり、愛情と絆が試されていく。その多重構造的な深みのある脚本、知性的で抑制の効いた演出が素晴らしい。