バンクーバーの朝日 (2014):映画短評
バンクーバーの朝日 (2014)ライター6人の平均評価: 3.2
埋もれた歴史の掘り起こしには成功したが…
人気俳優を起用して戦争映画に若年層を取り込む。そこに今回は新鋭監督を起用して彼のステップアップの場を提供。大手・東宝だからこそ出来る、『永遠の0』に続く志とビジネスを両立させた挑戦だ。ならばさらに一歩踏み込んで、今、本作を世に出す意義を実感させて欲しかった。『フューリー』が強烈な反戦メッセージを突きつけたように。
突然、隣人に銃を突きつけられる恐怖。日本人というだけで収容所送りにされた無情。朝日軍の偉業が抹殺された無念。そして戦後、彼らに謝罪したカナダの戦争責任の取り方etc…。今、考えるべき事は、本作で省略した部分にあるのではないか。
戦争映画を美談で終わらせない気概を見たいのだ。
史上もっとも盛り上がらない野球映画。
石井裕也と奥寺佐渡子は一体何がやりたかったのだろう。弱小球団が連戦連勝で勝ち昇ったりするなど野球映画として燃える部分を徹底して忌避。妻夫木&亀梨のメイン・キャストもそろって鬱屈キャラで物語を微塵も推進しない。その役割を担うのは高畑充希ただひとり、しかも彼女と石田えり以外、名だたる女性キャストの存在意味が無に等しいって! 野球映画のクリシェに抗しようというのならそれでもいい。しかし日系移民の苦難や惑いが十全に描かれるかというとそれもまた避けられる始末 (優勝してから人気爆発するが日系排斥に呑まれ…なんてそれだけでドラマだろうに)。光と闇を完璧にすくい取る近藤龍人のキャメラの冴えがひたすら虚しい。
『瀬戸内少年野球団』等と比較するのも一興の大力作
弱小チームが劣勢から知恵と工夫で巻き返していく――という基本軸は“文芸調『がんばれ!ベアーズ』”といったところか。ただし『川の底からこんにちは』や『ぼくたちの家族』など、これは監督・石井裕也が好んで採用してきた作劇でもある。「ブレインボール」という身の丈の頭脳戦は石井的方法論の自己言及に近い。
つまり本作は石井の個性を大作へと的確にブローアップした企画。監督も地に足の着いた自分のやり方で応えている。日系移民という主題はヘイトスピーチなど現在の差別構造を対象化する視座だ。石井は『ハラがコレなんで』で戦後史&アメリカの影を忍ばせていたが、これほど長い射程で日本論を継続させている若手監督は珍しい。
内発する感情の動きを静かに待つ。真の主役は石井裕也の演出力
忘れられた、戦前カナダにおける日系移民の貧困と差別。野球に懸け、頭脳プレーで這い上がっていく様を淡々と追う。妻夫木聡、池松壮亮、亀梨和也、高畑充希らが耐え忍ぶ。時代性を再現した原田満生の美術と、生きづらさと臥薪嘗胆の空気をすくいとる近藤龍人のキャメラが素晴らしい。内発する感情の揺れ動きを静かに待つ。真の主役は、83年生まれの監督・石井裕也の演出力。これはフジテレビ映画なのだ。当てることを至上命題とした“分かりやすくて泣ける装置”とは異なる流れ。新鋭の力量と作家性に懸け、俳優の可能性を引き出すTV局映画のヒットエンドランは、日本映画の未来に光明をもたらす。
不寛容な時代と向き合うマイノリティの葛藤
カナダのバンクーバーに戦前存在した日系人野球チーム「朝日」の実話をベースにしつつ、太平洋戦争の暗い影が忍び寄り日系人への差別と偏見が強さを増す中で、移民としてのアイデンティティを模索する若者たちの葛藤を描いた作品だ。
リーグ最下位の超弱小チームでありながら、なぜ彼らは果敢にも挑戦を続けたのか。その背景たる家族の物語や日本人街の人間模様に焦点が当てられているため、野球映画として見ると著しく物足りなさを感じるかもしれない。
しかし、不寛容な時代とどう向き合えばいいのか、人間の誇りとはなんなのか、現代にも通じる複雑かつ困難なテーマに腰を据えて取り組んだ作り手の姿勢は評価したい。
『アオハライド』に続き、高畑充希はスゴい
亀梨和也と上地雄輔の最強バッテリーに、『ぼくたちの家族』の兄弟ふたたび…という、こちらの期待に反し、野球映画と思えないほど、恐ろしく熱がなく、心に訴えかけてこない。Brain Ball(頭脳野球)の下りは悪くないが、これだけ個性的で巧い若手を集めながら、彼らの魅力を生かせてないのは問題。各事務所のしがらみかは知らないが、石井裕也監督は“試合放棄”してるようで、エネルギーをすべてサブストーリーの高畑充希に注ぎ込んだ感がある。そのため、完全に彼女を観る映画になっているのだ(それは決して悪くないことだが…)。もし、本当の野球映画を観たいなら、『KANO 1931海の向こうの甲子園』をおススメしたい。