ドラキュラZERO (2014):映画短評
ドラキュラZERO (2014)ライター5人の平均評価: 3
本家ユニヴァーサルの沽券を汚さぬ出来。
ヴラド公の史実と吸血鬼伝説を巧く融合した、案外マトモな伝奇歴史映画。近ごろ流行する新釈モノとは一線を画する品のある出来だ。「蝙蝠の集合体に姿を変えられる」ということだけに特殊能力をほぼ限定し、やたら派手なだけのイフェクトを排したのも節度が感じられるし、突き立てられた剣の映りこみとして戦場の悪魔的惨劇を描いたりするヴィジュアルにもセンスがある。まあ、ヴラドばかりが闘いすぎるなど展開の妙にはやや欠けるが…。ただL.エヴァンスの色気は相当のものだし、彼に力を授けるヴァンパイア・マスターの威厳ある演技が魅力的。メイクに隠れているのでラストシーンまで判らなかったが…なんとチャールズ・ダンスじゃん!
歴史ドラマとしての見どころもあるダークヒーロー映画
ブラム・ストーカーの吸血鬼小説にモデルとなったワラキア公ヴラド三世の伝説を絡めたのがコッポラの「ドラキュラ」だったわけだが、こちらはある意味でその逆。実在のヴラド三世の物語に吸血鬼伝説を絡めつつ、ダークヒーローたるドラキュラの誕生を描く。
勿論、お話は史実を基にしたフィクション。とはいえ、列強に囲まれた小国の君主としての苦悩を滲ませた前半は歴史物としての見応えもあり、だからこそ国を守るべく自ら暗黒面へと堕ちていく過程にも説得力がある。
ただ、オスマン帝国と激突する後半は展開が平坦。しかもドラキュラが強過ぎて映画的カタルシスに欠ける。ルーク・エヴァンスのカッコ良さは存分に堪能できるのだが。
発想は面白いし、カタルシスを催す場面もあるが…
誰でも知ってる吸血鬼の、誰も知らない過去を描くアイデアの面白さは素直に評価したい。敵兵を槍で射抜く“串刺し公”と呼ばれていた残忍な兵士という過去を捨て、民を思いやる君主となった設定も魅力的だし、魔力を得てからの活躍ぶりにも見入ってしまう。
が、ドラマ的に、それ以上に発展しきれないのが残念。正義にも悪にもなりきれないドラキュラのキャラが中途半端で、悲劇として見るのもツラい。
ひとりで敵軍を始末する場面では『300<スリーハンドレッド>』的な興奮を覚えたし、串刺し公の面目躍如たる壮絶な地獄絵図にはホラー・ファンの欲求も満たされた。それだけにドラマの作りこみの甘さが惜しまれる。
ルーク・エヴァンスのアイドル映画としては申し分なし
ドラキュラのモデルになったヴラド3世に焦点を当て、自国と家族を守るために悪の道に投じた男の悲劇を描くという、目の付けどころは確かにいい。だが、新人コンビによる脚本が、あまりに捻りがなさすぎる。また、ダークファンタジーとして見た場合、ヴィジュアルのインパクトが、すべてコウモリ頼みというのはちと寂しい。とはいえ、コスプレがハマるルーク・エヴァンスのアイドル映画として見ると、宿敵を演じるドミニク・クーパーによる引き立たせの巧さもあり、まったく申し分ない。新人ながら92分にまとめあげた監督の力量は認めるが、当初の予定通り、アレックス・プロヤス監督が撮っていたら、もっと刺激的な作品になっていただろう。
乱世の暗い空にはコウモリの大群がよく似合う
甲冑を纏って立つ主人公の黒いマントの先端がコウモリの群に変貌していく、という2種のポスタービジュアルが素晴らしく、映画がポスターほどスタイリッシュではないのが残念だが、ビジュアル的な見せ場はちゃんとある。見てのお楽しみのため詳細説明は省くが、まず、主人公が戦場でコウモリの大群を操るその方法。そして、主人公の落下するさま。さらにもうひとつ、序盤で主人公が吸血鬼になることを決意して岸壁を登る時の、風に翻る深紅のマント。実はマントは、スーパーヒーローの象徴。この場面にしか登場しないマントが、本作がドラキュラをヒーローとして描き直す、一種のスーパーヒーロー映画であることを宣言している。