コングレス未来学会議 (2013):映画短評
コングレス未来学会議 (2013)ライター3人の平均評価: 4.3
実写とアニメの境もぶっ壊す、ちょっとないSF映画!
前半はいわばモキュメンタリ、R.ライト本人が不死不老のCGキャラとして自分のデータを売り渡す、自虐的だが現実的なデジタル映画時代の皮相な考察だ(でもデータ提供時のシーンにおけるH.カイテルのモノローグがまた感動的)。ところがその直後に現れる20年後の世界はモノみな極彩色でうねうね動きまくる幻覚アニメ、監督も認めるようにフライシャー兄弟ふうのアニミズムの世界。現実と虚構、リアルとヴィジョン。それが延々と混濁する。原作者レムとキューブリックへのオマージュも織り込みつつ、薬物による感覚の拡大と、感覚にまつわる病に侵された息子への母の想いが交錯するその果てに、大いなる愛がぐぐっと立ち上がるのだ。
理屈より、映像表現の異様な執念にヤラれた“奇作”
未来学会議という言葉自体がレトロな響きだが、S・レムの原作は1971年発表。まさに当時のセンスを再現したサイケデリック・アニメーションと、いかにも現代的な風刺を合体させた“奇作”に仕上がっている。
原作にないハリウッド業界話が柱だが、「CGが生身の俳優を乗っ取る」モチーフはA・ニコルの『シモーヌ』(02年)と同じ危機感の反映。そしてセレブのアバターで人々が生きる幻覚界は完全にインターネットの世界像。
思考の枠組みはややユルいが、アリ・フォルマンは『戦場でワルツを』と同様、独裁下の自由という主題に憑かれているのかも。やたら手の込んだフライシャー調作画など簡単に冷やかせない強度を獲得している。
現実と非現実の境界線が緩やかにほどけていく
ものの輪郭線が、ゆるやかになめらかに変形していき、別のものになっていく。その動きは心地よいが、同時に気味悪くもある。例えば、人間が植物のようなものにゆっくり変貌していくとき。輪郭線がほどけていくさまが、不思議な酩酊感を味あわせてくれる。
この手法で描かれるのは、映画をモチーフにした、人間の幻想についての物語。人間の俳優が、スキャンされてCG俳優に進化するところまではすでに現実に近いが、その次の進化形が"化学物質"。その化学物質を服用すると、"自分はそのCGキャラになっている"という幻想の中で暮らすことが出来る。この薬物を服用した人々のパーティシーンは、悪夢のような楽しさに悪酔い出来る。