チャッピー (2015):映画短評
チャッピー (2015)ライター5人の平均評価: 3.8
あなたに人工知能と共存する覚悟がありますか?
ヨハネスブルグが舞台で『第9地区』とも被るが、疑似家族というテーマでコーティングしたぶん、あたりは柔らかい。
同作でエイリアンが人間と共存する社会を見せたブロムガンプ監督が今回描くのは、人工知能と人間の共存。SFではなく起こりうること(時代背景は2016年!)として、それをリアルに描いているのは同様で、“人間ではない別の魂を受け入れることができるか?”という疑問が投げかけられており興味深い。
ネタバレ回避のために詳細は省くが、ブロムガンプの過去2作にあった人間がガジェット的異物と一体化する展開も魅力。こういう感覚は、特撮・合体モノで育った日本の観客にこそ理解できるのではないだろうか。
お騒がせラップ・ユニットが怪演!
ピノキオをイメージさせる人工知能ロボが主人公のため、日本ではカット騒動など、『ベイマックス』風ハートウォーミングな売り方もされてるが、完全に「『ロボコップ』IN『第9地区』」。さらに、チャッピーの親代わりとなるバカップルが、ガガ様のライブの前座を断ったラップ・ユニット、ディー・アントワードというのがポイントだ。とはいえ、デジャヴのような展開が続き、「さぁ、これから!」というところでエンドロールという印象は否めない。『エリジウム』の失態は繰り返していないが、あくまでも『第9地区』番外編止まり。そんな監督の力量を考えると、新作は『エイリアン』より「チャッピーVSエビ・エイリアン」の方がいいのでは。
ロボットを通じて複雑な人間性の本質を探る
「フランケンシュタイン」や「シザーハンズ」に代表される人造人間もののバリエーションと見ていいだろう。人工知能によって自らの意思や感情を持つロボット、チャッピーは、異形の者ゆえに社会から迫害される。
生まれたばかりのチャッピーは、言うなればまだ無垢な子供。そんな彼が、生みの親で理想主義者の心優しい科学者と、育ての親で生きるために悪事を働く無法者カップルの狭間で揺れ動く。要は、ロボットを通じて単純な善悪では語れない人間性の本質を探るわけだ。
VFXやアクションの見せ場は豊富で飽きさせないし、クライマックスは少なからず意表をつくものの、そこへ至るまでが使い古された展開の連続なのは惜しまれる。
AI搭載ロボットが人間性とは何かと問い直す21世紀版ピノキオ
人間vs.ロボットではない。科学の可能性をめぐり3つの思惑がぶつかり合う。ロボットには忠誠を求める者、AI搭載自律型ロボットを開発する者、操作可能な巨大ロボを理想とするAI反対論者。そして心さえ持ったロボットの出現をめぐり、欲望が露わになる。これは意識を与えられたことで殺伐とした社会を放浪することになる、何にでも染まりやすい健気なチャッピー君の心の旅。日本人にとって親和性の高いモチーフだ。ジャパン・リスペクトに満ちたデザインと過激なアクションで魅せながら、ニール・ブロムカンプ監督は深遠な物語を掘り下げる。人間的なロボットが社会に投入されることで、人間性とは何かというテーマが立ち上がる。
この世界は「第9地区」と地続き
ニール・ブロムカンプ監督が描くと、人工知能も性善説。人工知能チャッピーは、白紙状態で周囲の総てから学習するのだが、さまざまな学習の結果、犬が近づいてくると、頭を撫でる。SF映画の人工知能といえば暴走するのがお約束で、この夏は別世界で人工知能ウルトロンが暴走するが、本作では、暴走するのは科学者達のほう。チャッピーの可愛らしさが、周囲の人間のキャラが濃すぎて際立たないのがちょっと残念だが、いつものこの監督の映画のように、最後にはストーリーの予想外の展開に驚かされて、そのうえ胸を熱くさせられてしまう。気になるのは、この監督の次回作「エイリアン」新作。これがどんな方向に向かうのか、さて。