ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ) (2014):映画短評
ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ) (2014)ライター4人の平均評価: 4
怒れる犬軍団の反逆が現代ヨーロッパの混沌を映し出す
反抗期の少女と愛犬の友情を軸としつつ、人間に虐げられ続けた犬たちの復讐と反逆を描くハンガリー映画。
身勝手で思いやりのない大人たちよって、無理やり引き離されてしまう少女と愛犬。この両者が苦難を経て再会するまでのお話か…と思わせておいて、後半は施設から脱走した数百匹の犬軍団が街に解き放たれ、次々と傲慢な人間どもに襲いかかるという『ドッグ』のような動物パニック・ホラーへと変貌。その意外な展開に驚かされる。
現代ヨーロッパに蔓延する差別や格差への痛烈な批判が込められていることは明らか。あまりにも酷い人間しか出てこない点は引っかかるが、それだけヨーロッパ社会も殺伐としているってことなのか。
人間と動物のヌルい友情を描いた作品ではありません!
少女と犬の友情の話……から想像される甘っちょろいイメージは、食肉用の牛を解体する冒頭の生々しい描写によって打ち消される。不穏な空気は全編を覆い尽くし、どんどん意外な方向へと発展する。
理不尽な社会への反抗をベースにしつつ、引き離された少女と犬のそれぞれの逆襲を活写。少女は孤独に震え、犬は怒りを爆発させる。青春劇とスプラッター・ホラーの側面が共存するのはある意味、奇跡的だ。
見ていて思い出したのがPet Shop Boysのヒット曲“Suburbia”。チンピラのガキどもと犬たちが夜の街を走る……という歌詞と妙にシンクロする。作り手は意識したのか否か、大いに気になるところ。
ヒューマニズムの欺瞞、あるいは大人の都合に牙を剥く傑作
サミュエル・フラーの『ホワイト・ドッグ』は人種差別主義者に調教された攻撃犬を扱っていたが、GODとDOGという皮肉なアナグラムを題した本作では雑種犬が差別の対象そのものとなる。
そのブロックを試みるのが父親や教師から抑圧を受ける少女リリで、彼女は孤独な“被差別者”同士の意識で犬と連帯する。だが結局リリは人間側であり、大人(人間中心のルール)と子供(無垢)に引き裂かれた中間的存在である事がサスペンスの核となる。
『トムとジェリー』のオスカー作品『ピアノ・コンサート』から犬の暴動への流れは鮮烈だが、同時にあらかじめ敗北の苦味を含むのが切ない。凡百の動物映画と一線を画すリアルな認識が本作の肝だ。
250匹わんちゃん大行進
車が放置状態の高速など、人っ子一人いない市街地を全速で駆け抜ける一台の自転車。そこに突如として現れる250匹の犬・狗・戌…。まるでゾンビ映画のようなオープニングが、怒涛のクライマックスに繋がっていく。基本的な流れは「名犬ラッシー」で、メッセージ性も強いが、決して泣かせに走らず。ブローカーからトレーナーの手に渡り、闘犬の道を歩む姿はバイオレンス・アクションであり、やがて動物パニックに突入。一方で、トランペット奏者のヒロインとオーケストラが奏でる「ハンガリー狂詩曲」がキーワードであるように、ジャンルの垣根を超えたミスマッチ感に圧倒。昨今の猫ブームにモノ申す、刺激的な一本である。