22年目の告白-私が殺人犯です- (2017):映画短評
22年目の告白-私が殺人犯です- (2017)ライター6人の平均評価: 3.8
現代性と娯楽性の絶妙な融合が生んだ快作
大筋は韓国映画『殺人の告白』の忠実なリメイク。それでもキャラクターの気持ちをすくい取り、見る側の感情を鷲づかみにする人間ドラマの巧妙さに唸った。
静かに、しかし確かに潜んでいる被害者たちの激情がドラマを動かしてサスペンス性を高めるのはもちろん、そこから見えてくる社会性も興味深く、犯罪、SNS、メディア、法律等々の現実が、良い意味でのしかかる。“今”を見つめる作り手の目線の鋭さの表われか。
藤原竜也、伊藤英明をはじめとする役者陣も抑揚の効いた演技でドラマを牽引。陽の藤原、陰の伊藤に、物語が進むほどキャラがデカくなる仲村トオルが加わっての後半の演技合戦も緊張感にあふれ、引き込まれる。
劇場型犯罪やTVジャーナリズムを批評的に射る硬派なミステリー
プロットが入念に練られた上質のエンターテインメントだ。奇抜なアイデアから出発し「恨」を基調に戯画的アクションが際立った原作の韓国映画『殺人の告白』を、劇場型の狂気とTVジャーナリズムを批評的に射る硬派なテーマへと転換させ、事件関係者を多角的に描いて巧妙に換骨奪胎。名乗り出る殺人犯藤原竜也の多面性と、身体性に長けた正義漢伊藤英明のコラボがダイナミズムを高めた。美術的ディテールへのこだわりも奏功し、16mmやHi8で撮影した過去の質感もリアリティを強化している。1995年というこの国の曲がり角を起点とし、本作の同時代性は国際社会の闇にも及ぶ。入江悠監督のメジャー登板が増えることを期待しよう。
韓国版を見ている観客をもまんまと欺く秀逸なリメイク
アッと驚くどんでん返しが見事だった韓国映画『殺人の告白』の日本版リメイクに当たるわけだが、こちらはさらにもう一つのどんでん返しを用意しており、オリジナルを見ている観客すらもまんまと欺いて見せる。ただのリメイクには終わらせない制作陣の並々ならぬ意欲が感じられるだろう。
それはストーリーの構成も同様。オリジナルの基本プロットを生かしつつ、役柄の設定やサブプロットをガラリと変えることで、韓国版で顕著だった被害者家族の怨念よりも哀しみを際立たせる。さらに、派手なアクションの要素をバッサリと切り捨てることで、韓国版よりもずっしりと重みのある作品になった。それにしても伊藤英明、いい役者になったなあ。
出来事はいつもディスプレイ上で起きる
さまざまな出来事が、画面で中継動画を見る形で描かれる。人々は現在、ディスプレイ上の映像の形という形で現実を認識しているのだ。そのため出来事は、TV番組の生放送を映し出す映像やウェブにアップされた動画の中で起きる。人々の反応は、TVの街頭インタビューや、ウェブの中継動画につけられたコメント、SNSの画面で描かれる。その間接的な認識様式の持つ冷やかさと、登場人物たちが22年間に渡って抱き続ける感情の熱さが対比され、双方を際立たせている。
映画音楽の役割は「ソーシャル・ネットワーク」以降のハリウッド映画の流れをくむもの。挿入歌ではなく映画音楽自体の主張が強く、それがドラマを引き締めている。
同じ物語でも受ける印象が異なる、大成功リメイク!
パク・シフが美しき殺人犯を演じた『殺人の告白』を日本でリメイクできるの?と思いながら見たが、これが大成功! 単なるコピーではなく、同じ物語でも受ける印象が異なる。よく練り上げられた脚本だし、日本の法制度や被害者心情をきっちり踏まえた構成に大いに納得させられる。オリジナル版に登場する被害者遺族の過激な行動や最後の被害者の悲惨すぎる運命に腰が引けていた身としては、伊藤英明演じる刑事をはじめとする被害者遺族や彼らを取り巻く人々の心情や言動がすとんと胸に入ってくるのも当然か。しっかり持ち場を守り、素晴らしいアンサンブルを生んだ役者陣に感謝。見終わって、時効についてもいろいろ考えちゃいました。
オリジナルの“その先”も描いた脚色の巧さ
ワーナー×日テレの韓国映画リメイク(『MONSTERZ』)、警察が犯罪者を護衛する展開(『藁の楯』)など、決して成功とは言い難いタイトルが思い浮かぶ企画ながら、本作は間違いなく成功例だ。オリジナル(『殺人の告白』)ではアクセントになったボウガンや毒蛇など、日本映画でやってしまうとリアリティに欠ける(ギャグにしか見えない)描写を排除、“その先”までも描いた脚色の巧さ。また、『ジョーカー・ゲーム』でその片鱗をみせていた入江悠監督のエンタメ大作との相性の良さなども相まって、オリジナルより3分短い尺ながら、オリジナル超え。ただ、伊藤英明の芝居にはチョン・ジェヨンほど、哀愁が感じられないのが悔やまれる。