ワイルド わたしの中の獣 (2016):映画短評
ワイルド わたしの中の獣 (2016)ライター4人の平均評価: 3
ワイルドだぜっ!かなぁ・・・
狼に一目惚れして、マンションで生活を共にする。
ワイルドというより無謀だ。
次第に外見に無頓着になり、黄ばんで穴が開いたパンツで外出するようになる。
それは自堕落というのでは? むしろ裸族になった方がワイルドだぜ!
と、ついタイトルにツッコミを入れたくなる。
恐らく監督が描きたかったであろうテーマは、
己の感情を押し殺して生きてきた女性が、狼との出会いで心身共に解放されていく姿。
でもその過程が、周囲に迷惑をかけまくりの非常識な行動の連続で、単なる”かまってちゃん”にしか見えず。
アイデアの斬新さと、CGナシの狼との共演シーンは驚異的なだけに、いささか勿体無い。
現代人よ、理性を捨て野性に還ろう
殺伐とした現代社会で無気力に生きる孤独な女性が、たまたま森で遭遇した一匹のオオカミに魅了され、やがて野性的な動物本能に目覚めていく。
人間とオオカミの禁断の愛!ショッキングな映像体験!などと煽られているが、要するにバター犬のオオカミ版みたいなもので、実際の映像は極めて他愛のないものだ。まあ、筆者がエグい映画を見慣れているせいなのかもしれないが…(笑)。
全体的には現実とも妄想ともつかぬ、ヒロインの心象世界を丹念に描いたサイコロジカルなアート映画。現代人の心の闇を映し出す一種の寓話として、目の付けどころはユニークだと思うが、シンプルで分かりやすいがゆえに食い足りなさも残る。
社会も会社もつまらん男も●●くらえ!節
ブラックコメディというよりオフビートな風刺劇。ほぼシリアスなトーンのまま痛快さに突き抜けていくのが個性か。本能覚醒! 野性解放!で鬱屈まみれの地味OLが社会規範をぶっちぎる。狼という原型的なシンボルを持ってきたことで、「彼」との出会い以降は妄想/夢のようでもある。
『マックス、モン・アムール』や『神様メール』(挿話)の人妻と絡むサルはエロいおっさんのようだったが、こちらのイケメン狼は「ダメな動物」としての人間の男を撃つ。ボーヴォワールの「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」ではないが、“第二の性”超のラジカルな領域に踏み込む思考実験。ヒロインが投下する「ある爆弾」はぶっとく豪快!
乙女と獣の物語を現代都市を舞台に描くなら
乙女と獣。この組合せは、乙女の隣に一角獣や獅子が描かれた中世の昔から人々の想像力を刺激し、さまざまな意味を象徴してきた。本作は、この組合せを現代の都市に置いたときにどんな物語になるのかを描く。加えて、女性監督がヒロインの視点から描いているのがポイント。ヒロインは狼を捕まえるときには同性たちや呪術的な力に助けられるし、自分の性的欲求にも肯定的だ。
そんな物語が、ドイツの街、寒い季節、日中でも陽の光は弱い、青白い場所で描かれていく。北の光の微弱さと、狼と生きることにしたヒロインが手に入れる微笑みの強さ、そのコントラストが強い印象を残す。