アフターマス (2016):映画短評
アフターマス (2016)ライター2人の平均評価: 3
70歳にして、迷走し続けるシュワ
冒頭こそ「クレしん」ばりのお尻フリフリカットもあるが、『マギー』に続く、ヒゲ面シュワちゃん終始しかめっ面映画、第2弾である。タイトルである“余波”が、飛行機事故で家族を失った現場監督と責任を感じる管制官に襲いかかるように、救われない人間ドラマが展開。そんな両者が出会う、『複製された男』の、というか、藤谷文子の旦那ことハピエル・グヨンによる脚本は、ときにポール・ハギス作品っぽく、ときに韓国映画っぽいが、とにかく体温が低い。そこを担っているのが、MV、CM界出身のピーテル・フェルメールによる撮影であり、まるで北欧映画のような感触だ。でも、そこに映るのはシュワちゃんというギャップを楽しむ一本だろう。
シュワちゃんが迫真の演技を披露する実話ベースの人間ドラマ
シュワルツェネッガーがアクション抜きで挑んだ、実話ベースの人間ドラマ。航空機事故で妻子を失った男が、深い喪失感とやり場のない怒りに向き合う。ロシア系移民の寡黙な肉体労働者という役柄もシュワちゃん向きで、その苦悩や葛藤が語らずとも伝わる迫真の演技は期待以上だ。
同時に、本作は事故を引き起こしてしまった航空管制官にも焦点が当てられる。重すぎる罪の意識に苛まれ、絶望の淵をさまよう姿が痛々しい。それだけに、悲劇的な結末はなんとも暗い気持ちにさせられる。
どんな善人でも取り返しのつかない罪を犯すことがある。それは主人公も管制官も同様。示唆に富んだ作品だが、しかしラストは余計だったように思う。