生きてるだけで、愛。 (2018):映画短評
生きてるだけで、愛。 (2018)ライター5人の平均評価: 4.2
全身女優・趣里
ヒロイン寧子は、鬱の影響で引きこもり、やり場ない感情を恋人にぶつけまくる。
原作者・本谷有希子印の面倒臭い女だ。
だが、ただのイヤな女に終わらなかったのは、温かみを感じる衣装や美術、照明といった計算されたスタッフワークが作り上げた映像へのこだわりと、
趣里の熱演あってこそだろう。
些細なことに突っかかり、もがき、苦しむ彼女の姿はむしろ”生”への渇望を感じさえ、
やり過ごすことが当たり前の世の大人たちに、あんたは懸命に生きているか!と突きつけているかのようだ。
対して彼氏の元カノ・安堂は、絵に描いたような意地悪女で終わってしまった。彼女が元カレに固執する事情はもっとあっただろうに。それが惜しい。
乱調の美を折り目正しい包容力で
岡本太郎に迫った『太陽の塔』とほぼ同時投下された関根光才監督の長編劇映画デビュー作。本谷有希子の原作では持て余されている実存の「味の濃さ」を肯定的に対象化した距離感がユニークだ。それゆえ作品自体が伝えるのはある種のクールな感触であり、控えめながら厚い包容力であり、ヒロインへの愛の目線である。
それは菅田将暉扮する津奈木の精神と同質で、システムを食い破る生命力への憧れこそが監督の内在的な主題かつ美点に思えた。趣里が嵐のごとき熱演を見せるが、単なるがむしゃら芝居ではない。山戸結希の傑作『おとぎ話みたい』から約5年、いまやエモーションもブレスも自在に使いこなせる歌姫のようで、ものすごく艶がある。
『勝手にふるえてろ』との比較で見えてくるもの
『おとぎ話みたい』で一気に広まった怪演っぷりが、ドラマ「ブラックペアン」でお茶の間にも届いた趣里。まるで『ベティ・ブルー』なアブなさを醸し出している本作でも、お得意のエキセントリックなキャラで攻め、カレシ役の菅田将暉や元カノ役の仲里依紗を喰いまくる(おまけに石橋静河まで!)。まさに彼女の芝居を観るための一作に仕上がっているが、同じメンヘラ女子を描いた『勝手にふるえてろ』のヒロインのような愛嬌もないので、ひたすらヘヴィで、それが逆に苛立ちすら感じさせる。16mmでの撮影や照明など、いかにも広告映像ディレクターっぽい狙いも鼻につくが、これも届く人間にはたまらないかもしれない。
女優、趣里のパワーにひれ伏すのみ!
メンタルに問題を抱えた人が多数登場する、繊細な側面のある物語だが、現代人にとっては他人事じゃないのも事実。脚本や監督が丁寧にすくい上げる登場人物の感情もリアルで、画面にじっと見入ってしまう。なかでも惹きつけられたのが、寧子役の趣里のキレッキレの演技だ。怒鳴り、泣き、不満を垂れ流し、カミソリのようなやばい女ぶりが素晴らしい。しかも、見ていると自分で自分を持て余す彼女の辛さがじんわりと伝わってくる怪演だ。童顔だし、愛らしい顔立ちの女優だが、内に秘めたエネルギーはメガトン級。仲里依紗や菅田将暉が趣里を支える受けの演技を披露していて、ナイスサポート! 撮影や照明、音楽も素晴らしく、余韻が残る快作だ。
女優・趣里の凄まじい熱演に圧倒されっぱなし!
深刻なうつで引きこもりの主人公を演じる女優・趣里の、凄まじいまでの熱演に圧倒されっぱなしの109分。思うようにならない心の病に自己嫌悪を募らせ、やりきれない怒りや不満を周囲にぶつけて牙をむき、しかし同時に他者の理解と愛情を求めて孤独に震える。そんなヒロインがつまづき傷つきながらも、ガムシャラになって再生の道を歩もうとする姿が鋭く胸に突き刺さる。一方、優しすぎるゆえに彼女の体当たりを受けとめきれず、自身もブラックな職場に対する不満を抱えて爆発寸前の彼氏を演じる菅田将暉の抑えた芝居も見事だ。殺伐とした現代社会で生きづらさを抱えた男女の物語。その心象風景を16ミリフィルムに刻んだ撮影も素晴らしい。