バーニング 劇場版 (2018):映画短評
バーニング 劇場版 (2018)ライター4人の平均評価: 4.3
後々にジワる仕掛け満載
劇場公開より先にTV放送されるとは、『甦れ魔女』かと思ったが、どちらかというと「NHK放送版」の方が、短編である原作「納屋を焼く」のニュアンスに近いかもしれない。そこにプラス50分となる「劇場版」では、さらにイ・チャンドン監督作と化している。とにかく緊張感溢れる演出、自然光を基調とした撮影、独特なリズムを奏でる音楽において、後々ジワる仕掛けが満載といえる。だが、本作でもっとも驚くべきは、原作では朴訥でいかにも村上春樹的な主人公だった「僕」→ジョンスのヒロインに対する想いだろう。これがいかにも韓国映画的で、衝撃的なラストシーンに繋がっていく。じつにせつないラブストーリーだ。
放映済みの短縮版は一旦スルーして、豊穣なスリルを味わいたい
村上春樹の短編を意外なほどテーマは忠実に、核心の「謎」も同じ印象で映画化したことに感動をおぼえる。最大の功労者は、主人公を惑わせる役のスティーヴン・ユァンで、登場するだけで、どこかいけ好かない、なのに妙に相手を虜にする「人たらし」な個性を本能レベルで表現。役の心の奥に潜む、他人には明かせない「闇」と、物語の裏で進行する事件が、澱(おり)のように溜まり、スリルを高めるのだ。セックス中に眺める風景や、夕陽をバックに踊る開放感など、一見、何でもない時間に宿る豊穣な味わいは映画ならでは。なぜかNHKで短縮版が先行放映されたが、時間とともに沈殿する怪しさや恐怖、虚しさは、この「劇場版」でこそ体感できる。
イッちゃってます。破格の傑作!
本当はヤバい二人の“名匠”――イ・チャンドンの頭の先っぽと村上春樹の尻尾がバチバチッと接触! 韓国社会の澱みを注視する問題意識は前作『ポエトリー アグネスの詩』から連なりつつ、ハルキ文学の中でも冷血度が高い異色作『納屋を焼く』を得る事で魅惑の化学反応が起こった。デカダンな貴族性とATGの泥臭いザラつき(フォークナー的青年は中上健次系とも言えるだろう)が鮮烈に融合したような青春映画だ。
三角関係の不穏なミステリーは『太陽がいっぱい』や『いとこ同志』に近い図式。38度線近い北朝鮮のすぐ隣の村での玄関先パーティーは原作を踏襲した見せ場。ジャズと大麻の気怠いチルアウトタイムは、まさに甘く危険な香り!
じわじわと燃えていく、優れたミステリー
三角関係の話として始まるが、単なる恋愛映画ではない。複雑かつ深い、独自の視点から人間の考察をするのが、この映画。何が起こるのか予測がつかない、卓越したスリラーでもある。姿を見せない猫、主人公の実家の近くに多数あるグリーンハウスなど、一見たいしたことのないディテールの数々は、語り手の優れた手腕によって、不気味な重さを感じさせていく。“燃えている”というタイトルは話に絡んで来るが、何よりも、主人公の心の変化のメタファーと言えるだろう。3人ともすばらしい演技を見せてくれるが、主演のユ・アインはとりわけ秀でている。