フロントランナー (2018):映画短評
フロントランナー (2018)ライター3人の平均評価: 3
大統領まで一歩の人物と、ヒューのイメージが激しくシンクロする
大統領候補となるカリスマ政治家の主人公と、トップスター俳優のヒュー・ジャックマン。ともに「イメージ」を大切にする仕事という共通点を頭に入れながら観ると、ヒューの素顔を裏読みしている楽しみもある。
スキャンダルはともかく、この作品を信じれば、ゲイリー・ハートほど大統領にふさわしい才能はないと感じ、いかに現実のリーダーが物足りないか憂うだろう。J・ライトマン監督はハート以外の人物も際立たせる群像劇にして、会話の面白さも狙った感もあるが、もっと主人公寄りの視点に集中して、ハートの抱えた心の闇を観たかったような……。大統領選挙の舞台裏は生々しく伝わってくる。
政策と下半身は別物? 仕事ができればモラルは問わず?
大統領選の先陣を切っていながら女性問題で失脚したゲイリー・ハート上院議員の事件に対し、「下半身のだらしない男だな」と思っていた。今もそれは変わらない。だからこの映画を見て、政策と下半身は別物と言いたい気持ちがビンビンに伝わってくるのに違和感を覚えた。すっぱ抜いた記者をゴシップ記者扱いしているのも失礼な話だ。確かにハートはスティーブ・ジョブズの先見の明に共感し、将来を見通すビジョンで当時の若者を魅了した。J・ライトマン監督もきっとそのひとり。でも仕事ができれば道徳観は問わないという考えには賛成できないし、本作が訴えていることは問題のすり替えのような気がした。役者陣がいいだけに、もったいない。
スキャンダルが政治家の真価を損なうことはアリなのか?
かつて政治家の仕事とプライベートの評価は別物だった。実際、ジョン・F・ケネディ大統領の女性関係は半ば公然の事実だったが、それでも大衆は彼の体現する理想と政治手腕を支持した。しかし、時代の変化に伴い大衆の政治家を見る目も厳しくなり、私生活のスキャンダルがキャリアに致命的なダメージとなる時代が訪れる。それを強く印象付けたのが、本作で描かれる’88年大統領選予備選の民主党最有力候補者ゲイリー・ハートの失脚騒動だ。当時の状況を内側から克明に追っていくジェイソン・ライトマン監督の演出は非常に手堅い。それだけに、事象へ対する洞察や心理描写の掘り下げが、いま一つおろそかになってしまったことが惜しまれる。