残された者-北の極地- (2018):映画短評
残された者-北の極地- (2018)ライター3人の平均評価: 3.3
マッツの表情演技が「生きる」意味を教えてくれる
北極に取り残された男がある出来事をきっかけに再び生気を取り戻していく姿から見えてくるのは、「生きる」意味。極寒に耐えながらの雪中行軍や北極グマとの戦いなどアクション場面も多数だが、単なるサバイバル劇というよりも人間ドラマとして見応えたっぷり。セリフはかなり少なく、マッツ・ミケルセンの表情演技の素晴らしさが際立つ。瞳の輝きの変化や負傷した女性への接し方を見れば、生存と生きることは明確に異なるのだなと実感するはず。エンディングの解釈は見る人の性格によって変わると思うので、鑑賞後の会話のネタにして!
観客の知性と想像力が要求される極北サバイバル映画
北極圏で遭難したマッツ・ミケルセンが、墜落した救助ヘリから若い女性スタッフを救い出し、重傷を負って意識を失った彼女と2人きりで決死のサバイバルに挑む。余計なセリフや状況説明など一切なし。そもそも主人公が何者で、なぜ北極圏で遭難したのかも分からない。その全ては、彼のふとした表情や行動、そして数少ないセリフから、観客が直感で読み取っていくしないのだ。おのずと、見る者の知性と想像力が要求される。これは面白い試みと言えるだろう。ほぼ一人芝居に近いミケルセンも大熱演。実際に極寒のアイスランドで全編ロケされており、その撮影の厳しさはスクリーンからひしひしと伝わってくる。
寒さ。歩く男。それしかない世界に引き込まれる
寒さが、人間の命を奪う。登場人物は、不時着した男と、彼が遭遇する負傷者のみ。彼らの素性すら描かれないのは、この極寒の地では、そんなことには意味がないからだ。人間の経験や知恵はごく限定的にしか有効ではなく、一度、転倒して負傷すれば、それがすぐさま命を失うことに直結する。
そんな極限状態を、ほとんどセリフもなく、ひとりの男の行動を映し出すだけで描く。それなのに緊迫感が途切れない。目に映るものがそれだけなので、そこに没入させられてしまうのだ。主人公が困難に遭遇するたびに必死に対処法を考え、彼がある選択をすれば、それがベストなのかと考えさせられる。そんな極限状況が体験できる。