ペイン・アンド・グローリー (2019):映画短評
ペイン・アンド・グローリー (2019)ライター6人の平均評価: 4
老境のアルモドバルは、どこに向かおうとしているのか?
アルモドバル・ファンとしては感慨深い私小説的な逸品。『欲望の法則』『バッド・エデュケーション』に次ぐ三部作のようなもの……とのことだが、なるほど映画監督を主人公にして心情を仮託する点は共通する。
前2作ほどラジカルでないのは、人生を振り返る時期に差し掛かっているからなのか。母親の思い出や、再会した恋人との微妙な感情の交錯などに、過去と対峙する者の覚悟に唸った。本作の後、アルモドバルがどこに向かうのかが、大いに気になってくる。
長年の盟友バンデラスが分身的なキャラを演じている点に加え、J・セラーノが『神経衰弱ぎりぎりの女たち』以来、久々に彼の母親を演じているのもファンとしてはニヤリ。
「性のめざめ」にきっちり向き合った、名監督の本気に震える
ペドロ・アルモドバルの「半自伝」とされるだけあって、映画監督の過去への邂逅が傷みと切なさ、そして温かな懐かしさを伴って迫ってくる。
メインとなる部分が、アーティストの苦悩、かつて愛した人との現在の関係、母への想いと、やや乱雑に移動する印象はあるものの、その「ごった煮」的な味わいこそ、自分であると宣言しているようだ。中でも鮮烈なのが、子供時代の性のめざめのエピソードで、その部分が赤裸々に、そして神々しいまでに美しく描かれ、アルモドバルの本気と自己肯定に、めまいを覚えるほど感動してしまう。
バンデラスの師匠への賛歌が込もった、節度をわきまえた名演も泣ける。
バンデラスの枯れた芝居は確かにスゴい
尖りまくっていたスペインの変態監督、アルモドバルも今年69歳。今回も、半自伝的な意味合いで『バッド・エデュケーション』と被る回想描写もありながら、淡々とした語り口で描かれる『8 1/2』のオマージュと、どっしり構えた作りだ。確かに、老いることの残酷さを体現したアントニオ・バンデラスの枯れた芝居は魅力的なうえ、冒頭にアニメで語られる「地理」「身体の構造」の話など、実験的な試みも興味深い。とはいえ、ケンカ別れしていた主演俳優とのクスリが取り持つエピソードが片付くと、どこか失速してしまう感は否めない。そんなモノ足りなさから、期待していたキャリア集大成や最高傑作とは言い難い仕上がりに。
アルモドバルが自分をむき出しにする、メランコリーな感動作
タイトルが見事に象徴するように、今作でアルモドバルは自分が抱えてきた痛みと栄光に正面から向き合う。“痛み”は肉体と精神の両方。“栄光”もまた、痛みを伴う。子供時代や過去の恋愛を振り返りながらの彼の告白は、哀愁に満ち、優しく、同時に冷静でもある。貧乏だった彼に“栄光”を与えてくれたのは、映画と、彼のライターとしての才能だった。それらを彼が今も強く愛すること、それがあってこその彼なのだということが強烈に伝わってきて、涙が出るほど。そんな、生々しい、むき出しの感情を中心にしつつ、彼ならではのビジュアルセンスも健在だ。初めて見た時にも感激したが、もう一度見直して、ますますすばらしいと感じた。
アルモドバルユニバースの結晶
スペインの巨匠ペドロ・アルモドバルと近年コンビを復活したアントニオ・バンデラスのゴールデンコンビの最新作。おまけにメインヒロインにペネロペ・クルスという布陣は“アルモドバルユニバース”というべき世界観の結晶といっていいでしょう。
しかも、物語が映画監督がスランプから脱するという話で、ある意味アルモドバルの集大成と言った作品といっていいでしょう。
特に本作でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞し、初めてアカデミー賞にノミネートされたアントニオ・バンデラスの枯れ方はなかなかに素敵です。
“光と影”よりもっとディープに
もともと自己言及(仮面の告白)をフィクショナルに撹乱して虚実皮膜の間にある芸風のアルモドバルだが、初期の『欲望の法則』、中期の『バッド・エデュケーション』を経由し、今作は彼の『8 1/2』と呼べる一本ではないか。加えてフェリーニと比べることで、この映画作家の中身がよく判る。主成分は「ラブストーリー」だ。(モード&アヴァンポップな時代もあったが)本質はメロドラマの人。幾つもの濃密な愛の追憶で魂と肉体が染められている。
おそらく最も意気軒昂だった80年代への想いから、健康と薬物、コクトーの『美男薄情』、ウィタ・セクスアリスなど、諸要素が全て細胞。清濁併せ呑む老体の熟した滋味が深すぎて泣けてくる。