ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ (2019):映画短評
ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ (2019)ライター5人の平均評価: 3.8
望みナシでも夢をかなえたい、若い熱にグッとくる
かつての庶民の街が、そのまま高級住宅街と化し、高価過ぎて空き家と化しているストリート。今まさに進行している、そんな現実を反映した現代のアメリカンニューシネマ。
ギラつかない人間のドラマはA24の作品らしく自然体で、すんなり入り込める。家族、親友、悪友に囲まれている、どこにでもいる人間の日常。街の風景を飾らずに切り取り、美しいビジュアルへと昇華させる映像表現術に唸った。
シリアスなテーマを宿してはいるがタッチは軽やか。幼少期に暮らした家を取り戻したいという若者の熱意は、青春ドラマらしい味わいも。時代は変わり、街並は変わっても、若い情熱と夢は、いつも息づいている。
哀切入り混じる故郷サンフランシスコへのラブレター
再開発による地価の高騰で多くの黒人住民が家を手放し、郊外へ移り住んで久しいサンフランシスコ。一家が離散して親友宅へ居候する若者は、少年時代を過ごした市内の屋敷が空き家になったと知り、勝手に家具を運び込んで居座ってしまう。マイノリティが住む場所を奪われてきた、アメリカの土地と人、経済と階級の変遷を背景に、家族の想い出が残る場所に執着する黒人青年の複雑な心情を通して、人間にとって“家”とは何なのか?を考察する。そのノスタルジックで温かみのある映像美は、さながら作り手たちによる故郷サンフランシスコへのラブレター。コロナ禍で同地を離れる住民が急増する今、なおさら時代に翻弄される庶民の哀切が募る。
「A24」っぽくなさそうなムードで、やっぱり「A24」な作品
「A24」作品は気をてらった設定・演出が持ち味で、観客もそれを目当てにするが、今作は意外なほどマイルドで温かな味わい。そういう意味でサプライズ。ラストカットまで、そのぬくもりは維持される。
住む街、祖父が造った家にひたすら執着する主人公の行動は周囲には迷惑な部分があり、共感しづらいものの、友情か愛かギリギリラインで揺れ動くブロマンス的関係が、いい意味での悩ましさを喚起する。このあたり、A24っぽい新しさと言えなくもない。
家賃高騰など現実の生活は厳しいだろうが「アメリカ中から共鳴を求めて人々がやってくる」と劇中で歌われる名曲「花のサンフランシスコ」が、この街へ郷愁を誘いまくる。痛いほどの皮肉。
時事的なテーマも語るが、映画のハートは友情物語
家賃が高騰し、長年そこに住んできた人たちが追い出されるというのは、サンフランシスコに限らず全米で起きていること。それらの都市では、ホームレス問題が悪化する一方、金持ちや大手デベロッパーが所有する物件に実際にはほとんど誰も住まず、空っぽのままのものが多数存在するという矛盾も起きている。さらに銃犯罪、海洋汚染などの問題にも触れる今作は、だが、ハートの部分で、男の友情物語だ。自分が家族とかつて住んだ家を忘れられず、しょっちゅう見に行く主人公ジミーを静かに支え、手伝ってあげるモントを見ると、「こういう友人が欲しい」「自分もこういう友人になりたい」と思わせる。いかにも地元人が撮った風景も魅力。
映し出される街が、自分の歴史を語り出す
主人公が、地価の高騰により住めなくなった家を取り戻そうとする物語だが、単純な社会派映画ではない。彼と幼なじみの友情、彼自身の成長も描くが、そこに留まらない。監督自身が生まれ育ってよく知る街で撮影し、そこにある建物、そこで暮らす人々を丁寧に映し出すと、街が自分の歴史を語り出し、そこに建つヴィクトリア朝様式の家が自分の身の上を語り始めるのだ。それらが溶け合って不思議な味わいを醸し出す。主人公を見守る幼なじみが最後に抱くイメージも美しい。
その幼なじみ役のジョナサン・メジャースは、本作の後、TV「ラヴクラフトカントリー 恐怖の旅路」を経て、マーベルの新作「アントマン3」にも抜擢されている。