モロッコ、彼女たちの朝 (2019):映画短評
モロッコ、彼女たちの朝 (2019)ライター3人の平均評価: 4
意識の解放を、生き物の根源的な感覚を通して描く
何かの考えを人々に伝えたいときに、声を張り上げて主張し運動を起こすという方法もあるが、一人でその考えのままに行動することで目の前にいる人の意識を変える、というやり方もある。この物語はその後者を実践する女性たちを描く。社会慣習による厳しい制約の中で生きる2人が、偶然出会い、自分の意識を縛り付けているものに気づかされ、開放されていく。その意識の開放が、食べ物を食べる、その食べ物を作ために小麦粉を練る、練るときに手が感じる触感を味わう、といったとても生物的な行為、生き物が生きていく時に不可欠な根源的な感覚を通して描かれていくところがいい。映画は、それでもなお立ちはだかるものがあることも描くのだが。
同じ意思が必然的に世界中で立ち上がっている
モロッコ製作の映画では初の日本劇場公開作と聞いて、いかにこの国が外部からの目線(イメージ)でのみ捉えられてきたのかと認識を改めた。監督・脚本は長編デビューとなる1980年生まれのマリヤム・トゥザニ。世界で同時多発的に台頭する「女性監督」の新鋭でもあり、米映画『17歳の瞳に映る世界』とも響き合う主題を装備している。
むろん未婚の母・妊娠にまつわる慣習や法律は他国よりずっと厳しく、ヒロインは厳しい葛藤を抱えることになる。だがパンの「生地をこねる」描写が象徴するように、心のひだに触れようとする手つきがすべて丁寧で優しい。彼女たちの出会いとなる「ひとつの場所」が新しい可能性をそっと照らし出していく。
最初のシーンから引き込む、胸を打つ女性たちの物語
仕事を探して次々に家のドアをノックして回る、出だしのシーンの彼女の表情から、すでに強く引き込まれる。それからまもなくして彼女の全身が映り、観客には事情がわかる。そんなふうに、今作は、観客を信じ、ドラマチックな音楽で盛り上げることもせず、静かなトーンで物語を語っていく。ふたりの女性が少しずつ心を開き、お互いに何かを与えるようになっていく過程も、急がず時間をかけるおかげで、より信憑性が高まっている。そんな中ではまた、男女差別がとりわけ強く残る社会における女性の現実が鋭く指摘されてもいくのだ。女優たちの演技も光る、女性監督による、女性についての優れた一作。