ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい (2022):映画短評
ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい (2022)ライター4人の平均評価: 4.8
新しい「多声」の形、人間と世界を繋ぐ「視点」を増やすこと
柔らかにしてラジカル。社会を変える意志と可能性。人間中心主義を解体する様な幻想譚『眠る虫』の世界線のまま、金子由里奈監督は「人間の問題」に捨て身の迫力で向き合った。圧倒的に増えたのは言葉。本作が大前粟生の原作小説――他者との「対話」から立ち上がったのは象徴的だ。不格好な語りの中、ぬいぐるみの主体=眼など、我々の知らない多くの「視点」を誕生させていく。
『恋せぬふたり』『そばかす』と同様のアロマンティック・アセクシュアルという属性は、あくまで主題の一部。生きやすい場所を拡張し、社会のコミュニケーションの在り方を再定義する必死の試み。「ぬいサー」は深い内省を装填した新しい政治運動体かもしれない。
優しさから自由になれない若者たち。
傑作『眠る虫』の金子由里奈長編商業デビュー作は期待を超える出来だ。部員がそれぞれ防音イヤフォンを使用して、部室一杯に集められたぬいぐるみに、自分の悩みや本音を語りかける「ぬいぐるみサークル」。個人的なことから世界を覆う悪に至るまで、彼らはそうすることで涙し、精神を落ち着かせるのだが、そうした不安定な心の揺れは、僕のような者にはすこぶる共感を呼ぶ。アセクシャルである細田佳央太が彼らと接することでアイデンティティに目覚めるというのもごく自然に思える。しかしそこに加わるのが部員たちを否定せずに冷静な視点を持ち続ける新谷ゆづみ。彼女の存在がこの作品を、内に閉じるだけじゃない客観的な見方を提供している。
厳しい世の中だからこそ優しさは貴重
誰かを傷つけたくないし、自分が傷つくのも嫌だ。男同士のホモソーシャルなノリが苦手。恋愛感情もいまひとつ理解できない。そんな繊細で優しすぎる男子大学生と、日常の悩み事などをぬいぐるみ相手に話す「ぬいサー(ぬいぐるみサークル)」の仲間たちの揺れ動く青春模様が描かれる。確かに誰も傷つかない世界は理想。でも、現実には差別やイジメやハラスメントがまかり通り、繊細で優しい人ほど痛みや苦しみを抱えてしまう。優しさはしばしば弱さと受け取られ、だから強くなれと言われがちだが、しかし果たしてそうなのか?と考えさせられる。厳しい世の中だからこそ優しさは貴重であり、人間の弱さを社会が受け入れることも大事だと思う。
2023年上半期の日本映画を代表する一本!
量産される“生きづらさ”をテーマにした作品の真打ともいえ、成長物語として着地している点も含め、今年上半期の日本映画を代表する一本である。『眠る虫』のバスに続き、金子由里奈監督が誘う不穏かつ夢心地な空間は、ぬいぐるみサークルの部室。アニメーションやぬいぐるみ視点といった実験的映像が効果的に使われるなか、自身の心の洗濯ともいえるぬいぐるみを洗うシーンが印象的。前作同様、随所に死の匂いが漂っているなか、イベントサークルと兼サーできるという立ち位置が難しい役柄を演じる新谷ゆづみ、同じサークル先輩役でも「舞いあがれ!」とは別人な細川岳らが、主演2人を喰うほどの存在感を放つ。