ガール・ピクチャー (2022):映画短評
ガール・ピクチャー (2022)ライター5人の平均評価: 3.2
自由でお洒落で眩しいフィンランドの青春模様
再婚した母親との距離感に孤独を覚えるミンミ、自分がアセクシャルではないかと悩むロンコ、周囲の期待を重圧に感じるフィギュア選手のエマ。大人でもなければ子供でもない、微妙な年齢の女子高生たちの揺れ動く青春模様が描かれる。まずはフィンランドの高校生たちの自由でお洒落でリッチな日常生活にビックリ!恋愛やセックスに超オープンでフランクなところはさすが北欧という感じだ。「ハムを食べちゃったビーガンみたいな顔だね」なんてポンポン飛び出すセリフの数々がまたクールだし、思春期の感情や衝動をコントロールできずに迷いながらも「自分は何者なのか」を模索する少女たちの姿も眩しい。なんとも爽やかな青春ドラマだ。
愛する行為は自分本位。だからこそ愛おしいってことも
10代が恋愛に向き合い、しかもセクシュアリティがポイントになるドラマ…と考えると、ありがちなのは、通過儀礼や洗礼、あるいは反面教師的キャラを盛り込み、葛藤を乗り越える成長などを伝えたりしがち。本作の場合、周囲や親の世代も基本的に理解があるし、恋愛の方向を惑わせそうなイケメンくんも嫌なやつじゃない。登場人物たちが悶々と迷いつつ、妙に清々しいのが特徴的(そこが物足りないと感じる人もいるかも)。
そんなわけでメインキャラの一人がはっきりした理由なく相手に冷たくなり、けっこう自分本位な感情で元に戻ってきても、感じ悪くない。10代の恋愛はそういうもの、という潔さ。作り手の温かい眼差しが全編に貫かれる。
混乱する年齢の彼女らを正直かつ温かく見つめる
自分は何をしたいのか、本当の自分はどんな人間なのか、頭を悩ませる年齢。子供でもない、大人でもない、とっ散らかった時期の女の子たちを、至近距離から見つめるのが今作。一見タフだけれども内側には悲しみを抱えているミンミ。スポーツだけに打ち込んできたのに、恋を知って人生を揺さぶられるエマ。きちんと性体験をしてみたくてトライするもうまくいかないロンコ。彼女らは、嫌なことやみっともないこともやる。それがまた共感できるのだ。3回の金曜日を舞台にした話だが、3回目の金曜の後に道がはっきり見えた、とはならないのもリアルでスマート。「許す」ということの美しさもさりげなく感じさせる。
いろんな“カワイイ”てんこ盛り
3人の女子が織りなす普遍的な青春映画だが、2人は『ショー・ミー・ラブ』を思い起こさせるLGBTQカップルで、残り一人はアセクシュアルの可能性があることに悩む。それぞれのアイデンティティとセクシャリティへの探求心を描きながらも、そこまでヘヴィな展開にはならず、金曜日を軸とした構成も面白い。また、服も部屋も謎すぎるスムージーの名称に至るまで、いろんな“カワイイ”がてんこ盛りで、バイト先に乗り込んでの告白などの胸キュンシーンもあるなど、キラキラ映画としての要素もアリ。もれなく「ムーミン」ねたも登場するが、『コンパートメントNo.6』に続く、“フィンランド映画の新しい波”といえるかもしれない。
17歳の少女たちのひたむきさがまぶしい
なぜこの時期に何もかもが一気にやってくるのかと誰もが思う、17歳の頃。性的意識が芽生え、親との関係が変わり、将来の進路についても考えなくてはならない。そんな時期を生きる少女たちの姿がまぶしいのは、彼らがアルバイトする店のスムージーの明るく鮮やかな色彩のせいだけでなく、彼らのひたむきさが光を放つからだろう。同性への恋に迷いはなく、自分がアセクシュアルではないかという疑念を描くところも現代的。
監督、脚本家たち、製作はみな女性。製作会社の名前、シチズン・ジェーン・プロダクションは、社会活動家ジェーン・アダムズからとられたそうだが、名作「市民ケーン」と韻を踏むことも意識されていそうだ。