デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム (2022):映画短評
デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム (2022)ライター4人の平均評価: 4.3
頭で理解するのでなく、体験するドキュメンタリー
“普通”から最もかけ離れた人だったデヴィッド・ボウイを語るのにとてもふさわしいドキュメンタリー。他人のナレーションで解説や説明を入れるのではなく、彼自身の言葉、映像、また彼に影響やインスピレーションを与えたものをランダムに綴って万華鏡のように見せていくのだ。視覚にも聴覚にも激しく訴えかけてくるエネルギッシュさがありつつ、同時に哲学的、瞑想的で深くもある。ボウイという人物を知識として理解できるというより(そもそも、あの偉大な人物を本当に理解するなんて可能なのだろうか)、あらためてすごかったのだなと肌で感じさせてくれる。ぜひ、優れた音響を持つビッグスクリーンで見たい映画。
天才の頭の中を覗く小宇宙的な逸品
ナレーションはない。ファンならば時系列を追っていることはわかるが、それが何年の映像かと特定をしない。あるのはボウイの肉声と彼が遺したビジュアルのみ。
時間に関する概念や、愛、社会に関する貴重な発言と名曲、そして彼のビジュアリストとしてのセンスが一体に。それは彼の頭の中を覗くような体験だ。
“単にバイオグラフィをたどる映画はドキュメンタリーではない。ただのインフォマーシャルだ”とB・モーゲン監督は切り捨てるが、観れば納得。“ムーンエイジ”は人類の初月面着陸やアーサー・C・クラークが活躍した時代にも符合する。ボウイが愛した『2001年宇宙の旅』にふれる気持ちで体感して欲しい。
ボウイを、彼の"表現"をめぐる言葉を主軸に描く
よくある類のドキュメンタリー映画ではなく、ただの音楽映画でもない。デヴィッド・ボウイとは何なのかを、音楽ではなく、彼自身の発言と行動によって描く。この多面的な対象を、彼自身が"表現"について語る言葉を主軸に構築する、という方法を選んだことが、この監督のボウイ論になっている。
画面には、ボウイが語る姿だけではなく、こんな映像があったのかと驚かされるレア映像も映し出されるが、並行して、映画の冒頭から最後までずっと、ボウイ自身が表現について語る言葉が流れるので、つい意識はその言葉が意味するものを考えてしまい、目と耳が同時に多様な情報を処理しようと激しく活動し、ボウイに翻弄され続ける。
流れゆく言葉と名曲とともに、その人生に耽溺する時間
60〜80年代に創り出したイメージが、ここまで古びない人はいないのでは? 次々と繰り出される名曲は、その時々のボウイのスタンスを体現する音源がセレクトされ、彼が語る思想の数々が曲の合間に脳を浸していく。観ながらその意味を深く考える余裕はないが、「感覚」としてスーパースターの才能と一体化。ライブ会場にいながら、その人生を辿っているかのような錯覚をおぼえる。
TVインタビューや日本での日々など貴重な映像を、時系列でなく有機的に配分した構成も見事。デイドリーム=白昼夢の陶酔感に、時間を忘れて身を任せた。
一方で最初の結婚、および映画監督になった息子の話が一切出ないのは、財団「公認」の作品だからか。