ワース 命の値段 (2019):映画短評
ワース 命の値段 (2019)ライター4人の平均評価: 4.3
非業の死を遂げた、すべての人が持つ“ストーリー”
人の命に値段をつけることは不可能だが、保険や補償の制度はそれをある意味、可能にしている。本作を見て考えさせられるのは、その間にある“何か”だ。
9.11はリッチなビジネスマンから警官、肉体労働者まで、さまざまな命を奪った。貧しい移民の遺族が補償に感謝する一方で、裕福な遺族は“もっとよこせ”と迫る。この現実だけでも主人公の立場に胃が痛む思いだ。
すべての犠牲者に数字では表わせない“ストーリー”がある。最初は政府側の人間だった主人公が、それを理解していくことこそ本作のストーリーの味。日本で同じ悲劇が起きたら、同じように理解されるだろうか? そんなことを含めて考えさせられる力作。
人間の価値は「生産性」なんかじゃ測れない
9.11の被害者と遺族に対する補償基金の管理人を請け負い、政府からの補償金を分配した実在の弁護士を描く。そもそも、この基金自体が訴訟を回避して航空業界と票田と国内経済を守らんとする航空業界や政治家の思惑だったそうなのだが、対象者の年収や資産をベースに金額を出すという計算方法も大問題だった。要は「生産性」で命の値段を決めてしまったのだ。そりゃ猛反発を食らって当然。人間の価値を客観的な数字でしか評価せず、それを「公平」だと思い込んでいたエリート弁護士が、数式に頼らず人々の声に耳を傾けることの重要性に気付いていく。命の値段の計算など最初から不可能。妥協点の模索に必要なのは「誠実さ」だ。
キートン vs トゥッチ 静かな演技合戦が白熱
9.11テロの被害者の補償金を算出する弁護士の物語、と聞くと社会問題ものかと思ってしまうが、実は予想以上に人間ドラマ。マイケル・キートン演じる、自分の能力に自信があり、地位も名声もある弁護士が、ある事態に直面して自分に疑念を抱く。その揺れる気持ちがセリフではなく、微妙に変わる表情や強張る肩で表現される。彼と対立する被害者役のスタンリー・トゥッチとの、決して声を荒げない、静かな演技合戦も見もの。
映像の落ち着いた色調、演技の巧みなベテラン俳優たちの抑えた演技、”事件の被害者の補償金”という派手さはないが必要なものというモチーフ、それらが重なり合って、ゆっくりと静かな感動が生まれていく。
難しいテーマに繊細さと人間的タッチをもって挑む
9/11関連の映画はいくつも作られてきたが、今作は20年以上経つ今だからこそ語れる話。悲劇の後すぐ、政府が設立した被害者補償基金プログラム。その特別管理人を無償で引き受けた弁護士は、あくまで良い意図のもとに、それまで貫いてきた理念にもとづいて被害者に支払う金額を決めようとする。しかし、集計用紙では見過ごされてしまうことがあるのだ。遺族の感情的な告白を含めながらも、ドラマチックになりすぎないよう抑制をきかせつつ、映画は、主人公がそう気づいていく過程を描いていく。複雑で堅い話を入っていきやすい形で語る、よくできた作品。ツインタワーが燃える様子を直接見せないなど繊細な配慮も感じられる。