EO イーオー (2022):映画短評
EO イーオー (2022)ライター8人の平均評価: 4.1
ただそこにいるだけなのに……。
ブレッソン『バルタザールどこへ行く』にインスパイアされていることはすぐに察しが付くけれど、そのブレッソンにも勝るとも劣らぬ客観性が身を凍らせる1本だ。ロバであるEOの視点に徹しているから、彼を取り巻く人々の営みも客観的。EOの存在に勝手に喜び、怒り、惑っていく人間どもの様は虫けらに対するような目線であって、物語性やドラマ性などはどうでもいいようなところも、いかにもスコリモフスキ映画。しかしながら全編にわたって素晴らしい映像美と音楽が展開され(時に挟まれる意味不明、かつインパクトのあるショットも含む)、時にジョン・フォードのような詩的な空の色合いに魅了されること間違いなし。
無垢なロバの目を通して見つめる世界の美しさと醜さ
ポーランドの名匠イエジー・スコリモフスキが7年ぶりに撮った新作。動物愛護団体によってサーカス団からレスキューされたロバのEOが、自分を愛してくれる曲芸師のもとへ戻るべく、保護された施設から脱走して放浪の旅に出る。行く先々で様々な人と出会い、数奇な運命をたどるEO。無垢の象徴たるロバの目に映るのは、人々がお互いへの優しさや思いやりを忘れてしまった、現代ヨーロッパの殺伐とした光景だ。ロベール・ブレッソンの傑作『バルタザールどこへ行く』を下敷きにしつつ、それとはまた異なるドキュメンタリー的なアプローチで、世界の美しさと醜さを見つめたロードムービーと言えよう。
EOはどこまでも走る
まさしく『バルタザールどこへ行く』のハードアクション&ロードムーヴィー版。スコリモフスキ監督いわく「純粋に彼ら自身であり続ける」ロバはイノセンスの象徴でもあり、その無垢な目(=心理主義を排した動く定点)で人間社会を対象化する意味ではコサコフスキーの『GUNDA』や異色ドキュメンタリー『犬は歌わない』等と同系統とも言える。
スコリモフスキの文脈では、EOの原型は『エッセンシャル・キリング』の一切言葉を発しなかったV・ギャロになるだろう。タフな身体と澄明な眼差しで荒れた世界をサヴァイヴしていく。前衛オペラの如き映像と音響の実験に関しては、『イレブン・ミニッツ』の試みがここで完成しているようだ。
動物視点のファンタジーと人間の戯画化の味
ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』から発想を得て、スコリモフスキがそれを現代に置き換えて描いた……というべきか。
とくにブレッソン的なのは人間の描写のリアリティ。流浪のロバに優しい者もいれば、乱暴な者もいる。思想や道徳、宗教、狂騒、争い……そんな人間社会を、物言わぬロバはただ見ているのみだ。
ロバ視点の映像が時折挿入されるが、その美しさが、またいい。そもそもの相棒であったサーカスの女性芸人との交流が回想的に挟まれるのも味。ラストの、とある“音”が想像力をくすぐる点も巧い。
人間が仕切る世の中は動物に厳しい
動物好きとしては、見ていてずっとはらはらし、しばしば手を握りしめてしまった。EOが出会う人間たちのすべてが悪者なわけではないのだが、人間が仕切る世の中がいかに動物に対して厳しいのかを思い出させるからだ。だが、スコリモフスキは決して観客(つまり人間)を批判したり、説教したりはしない。冷静な視点から淡々と語る(犬や猫のような人に近い動物でなくロバであるのもその意味で効果的)ことで、じわじわと、しかしよりパワフルに、観客に感じさせるのである。撮影監督ディメクのカメラワークは近年の作品で最も美しいもののひとつ。この世界はすべての面においてこれほど美しいところになりえるのか。
叙情的で刺激的なロバから見た世界
なぜか、今年連続公開されているロバ映画だが、本作はブレッソン監督の『バルタザールどこへ行く』をイエジー・スコリモフスキ監督なりにアップデート。醜愚のイメージが強いロバのEOの目を通して、エゴ剥きだしな人間たちの醜く滑稽な姿を描写。ほのぼのどころじゃないシニカルなドラマを、ダイナミックなカメラワークで捉えたロードムービー的展開は“ロバ版『異端の鳥』”ともいった趣だ。赤を基調とした光源や音響効果、4足歩行ロボットなど、ときにブッ飛んだ演出が炸裂。ラスボスとしてイザベル・ユペールが待ち受ける展開など、異色の動物映画としても、スコリモフスキ初心者の“入口”としてもおススメといえる。
ロバの目に映る景色、脳裏に浮かぶ情景
映像が強烈。あるロバを主人公に、彼が周囲の状況や自分の意思により、さまざま場所を移動していくさまを描くのだが、それをロバの主観映像としても映し出す。その時、ロバの眼に世界はどのように映っているのか、それを描く映像が新鮮。しかもそれだけにとどまらない。主観映像に加えて、ロバの心象風景も描かれる。画面にはロバが見ているものだけでなく、ロバが抱いている思い、またはロバが見ている夢かもしれないものが繰り広げられて、その光景が鮮烈な印象を残す。
また、ロバの行動は、周囲の人間の思いに沿うわけではない。人間には居心地良さそうに思われる場所から歩み去り、人間の思い込みの身勝手さを思い知らせたりもする。
問答無用でロバの目線になってしまう不思議なマジック
基本的に全編、ロバの瞳は寂しげ。にもかかわらず、場面によっては無垢な魂に見えたり、人間への静かな抵抗に感じられたり…と変幻自在。佇んでいるだけで、ここまで胸が締めつけられる動物は他になく、ひたすら愛おしい気分になるのは予想外だった。
馬に対するコンプレックスや、野生動物への警戒や同情などの表現、その繊細さ、さりげなさから、巨匠のセンス、撮影に使ったロバたちへの強烈な愛と優しさが伝わる。
そんなわけで完全に主人公ロバの目線にさせられた後は、怒涛の運命を共有しながら、人間の身勝手さ、愚かさが、ちょっと面白くもあり、強烈な毒のような恐ろしいシーンに身震いし、未体験の後味に浸ってしまうことだろう。