聖地には蜘蛛が巣を張る (2022):映画短評
聖地には蜘蛛が巣を張る (2022)ライター5人の平均評価: 4
主演女優も性差別的事件による亡命者。
約25年前にイランの聖地で起こった娼婦16人連続殺人事件を基にしたフィルム・ノワール。監督はイラン人だが、今のイランでは絶対に映画化できない類の作品。犯人の人間像も事件の推移とともに詳細に描かれるが、彼はイスラーム原理主義者。街を浄化するため行動しているつもりだが、そこに性的なものがないかというとそうでもない。そこには強烈なミソジニーと臭いものに蓋をするイランの社会的風潮があり、それは宗教国家にありがちな出来事というだけでなく世界のあちこちに蔓延しているのは言うを俟たないだろう。そうした風潮にNOを突き付ける存在が女性ジャーナリストで、彼女がいわば探偵役として作品が進んでいく。ラストが…怖い。
境界線のない異世界がここにも
『ボーダー 二つの世界』のアリ・アッバシ監督が本作で描くのは、2000~2001年に監督の故郷イランで実際に起きた娼婦16人連続殺人事件に着想を得た、犯人と事件を追う女性記者の物語。記者が歩き回る、伝統的な女性蔑視というまったく異なる価値観を持つ人々が暮らす世界は、『ボーダー 二つの世界』同様、"すでにここにある境界線のない異世界"なのだが、今回は寓話ではなく、実話を踏まえて語られて切迫感が強い。
撮影は、監督と『マザーズ』『ボーダー 二つの世界』でも組んだ、デンマーク出身のナディーム・カールセン。夜の道の濃密な暗さ。その闇の向こうに夢のような光の群として出現する市街地。映像も印象に残る。
殺人描写はセンセーショナル。それ以上に恐ろしいものも横たわる
確実に心が激しくかき乱される一本。
殺人を続ける犯人の「余裕」と、悲壮な覚悟で事件に迫るジャーナリストの関係は、どこか『羊たちの沈黙』のレクターとクラリスが重なりつつ、舞台となるイランの現実や価値観、モラルを“当事国ではない”海外の監督目線で事件にまぶした点が作品の圧倒的パワーにつながった。中でもジェンダー問題、戦争に関わった国の感覚が肝に。
殺人や性に関するシーンも、客観的な視点が強烈な生々しさへつながった印象。
そして事件そのものから発展し、もうひとつの目を疑うドラマがサスペンスフルに描かれ、さらにまたひとつ、背筋が凍る「現実」が巧みな編集によって作品中、最高のポイントで突きつけられる。
単なるクライム・サスペンスでは終わらせない
娼婦ばかり狙うシリアルキラーVS.果敢に立ち向かうヒロインという構図だけに『ダークグラス』と同様、クライム・サスペンスとして楽しめるが、そこにイスラム社会の複雑な背景が絡み合うことで、さらなる恐怖を生み出す。それを顕著に現すのは、生きるために娼婦にならざるを得なかった女性に対し、「街を浄化する」という声明を残した犯人の逮捕劇後。そこから始まる裁判・報道・民衆の反応から、さまざまな“闇”を目の当たりにすることに。ミソジニーや家長制度など、さまざまな問題提起をするなか、一流の社会派エンタメに着地させたアリ・アッバシ監督は、『ボーダー 二つの世界』の頃よりも確実に腕を上げている。
「イラン国内では撮れないイラン映画」の傑作にして問題作
鬼才監督アリ・アッバシが強烈なペルシア語映画を放った。実在したシリアルキラー、サイード・ハナイ(『And Along Came a Spider』参照)の娼婦連続殺人事件をジャーナリストの女性との二焦点で描く。イスラム教シーア派の聖地マシュハドで身勝手な「正義」が支持されていく戦慄の過程も。
冒頭の9.11のニュース音声は示唆的。また本作は『ジョーカー』の素でもある『タクシー・ドライバー』に補助線を引けるのでは。戦争でPTSDを負った男が「街の浄化」に乗り出す歪み。加え重要な視座がフェミニズム。『マザーズ』『ボーダー』がブニュエル寄りなら、今回はアッバシが同じく敬愛するアケルマンの色が濃い。