アダマン号に乗って (2022):映画短評
アダマン号に乗って (2022)ライター3人の平均評価: 4.7
優しい空間から見えてくる精神科医療の理想
パリのセーヌ川に浮かぶ、まるで船のようなデイケアセンター「アマダン」を取材したドキュメンタリー。ここでは精神疾患を抱えた人々が社会とのつながりを持てるよう、絵画や裁縫や音楽など様々な創造的・文化的活動が行われている。驚かされるのは誰が患者で、誰が医師で、誰が看護師なのか、パッと見では全く判別できないこと。みんなが対等の立場で参加し、積極的に意見を出し合い、ひとつのファミリーを形成している。なんという優しい空間と時間!しかし監督によるとフランスの精神科医療現場は悪化の一途を辿っており、むしろここは異例なのだという。より多くの患者にこのような場所を提供できる日が来ればと願わずにはいられない。
セーヌ川右岸にて、素敵な歌と舟はゆく
ジャン・ヴィゴの『アタラント号』を連想する名の場所! ニコラ・フィリベール監督による1996年の『すべての些細な事柄』を引き継ぐ試みだ。仏ロックバンド、テレフォンの「人間爆弾」(79年)を絶唱する男性から、このデイケアセンターにはまさに「自覚のない俳優」ばかり。
『パリ、テキサス』や『裸足の伯爵夫人』等の映画話、「私はジム・モリソンとパメラの思考を写し取った」と語る男性。この大らかな多様性こそ排他的な世界の流れに抗う問題提起。例えばワイズマンだと『チチカット・フォーリーズ』とは本当に違うが、ロールモデルの提示という意味では、最近の『ニューヨーク公共図書館』や『ボストン市庁舎』には近いかも。
人々への優しい寄り添い方が、ドキュメンタリーとして奇跡的
理由もわからず温かく、幸せな気分に満たされ、このままずっと「船」に乗っていたいと感じる珠玉ドキュメンタリー。
パリのセーヌ川に浮かぶ木造船のデイケアセンター。通ってくる人たちの言葉は切実だったり、呆れるほど妄想的だったりするが、カメラの存在を忘れたように素直に語りかけてきて、大切な友人と接している錯覚すらおぼえる。
全体の構成も一見、乱雑風で、われわれ観客にこのセンターと一体化させる巧妙な編集だったりする。
誰が患者で、誰がセンターのスタッフかも混沌とする世界は、もしかしたら今の時代が求めるひとつの理想郷か…と、この映画を観た後は、ふだん目に映るカサついた現実風景がちょっと明るくなってるかも。