猿の惑星/キングダム (2024):映画短評
猿の惑星/キングダム (2024)ライター6人の平均評価: 3.8
代が変われば腐敗も進む!?
2010年代の『猿の惑星』トリロジーはサルの指導者シーザーの戦いと成長の物語だったが、この新作は数世代後のドラマ。代が変わるほど腐敗が進むのはサルの国も同様のようだ。
サルの国が完全に地上を支配し、退化の進んだ人間は迫害されるという社会の構図。人間だけでは飽き足らず、独裁者はサルの世界にもヒエラルキーを築き、下々の者を虐待する。現代の人間社会の擬人化(擬猿化!?)というべきか。
純真なサル、ノアを主人公に据え、世界の汚れた現実を見据えるつくりはもちろん、人間という生き物の不信をも視野に入れている点が面白い。ノアと、人間の少女ノヴァの関係はこの後どう変化するのか? 次が見たくなる。
世界の今を映し出すSF冒険アクション
『猿の惑星』新3部作の第1弾。前作から300年後、人間が野生へ退化して猿が地上の支配者となり、かつて人類が文明を築いたことすら半ば忘れられた世界。過去の歴史を自分に都合良く修正し、英雄シーザーの遺した言葉を歪曲することで自らを神格化した独裁者が台頭する中、故郷の村を破壊された若き猿ノアは言葉を喋る人間の女性ノヴァの力を借り、連れ去られた家族や仲間を救うため独裁者と対峙する。分断と対立、融和と理解を描いたストーリーは、まさしく現実社会の写し鏡。そのうえで、歴史修正主義に警鐘を鳴らし歴史の教訓に学ぶことの重要性を説く。もちろん、無垢な若者の成長を軸としたSF冒険アクションとしても良く出来ている。
見せ方は圧倒的。浮かび上がるテーマにも慄然
細かい表情も含め猿たちのビジュアル、ついにモーション・キャプチャーの限界点に到達したのではないか。それくらい質・量とも驚きレベルの満足感。
それ以上にアクションのカット割り、編集が見事なので「起こっていることのわかりやすさ」がハイレベル。壮大な風景が出現するシーンの見せ方など映画の醍醐味が備わってる。
主人公ノアの立ち位置と独裁者プロキシマスの関係に、ロシアとウクライナ、またイスラエルとパレスチナの現実を重ね合わせて観る人もいるはず。日本人としては福島第一原発事故を連想する描写もある。文明や技術は進歩すれば良いのか? 作り手の意図はともかく、浮かび上がるテーマは重く、映画としてその意義は重要。
若者の成長物語。三部作より明るい雰囲気
前三部作の大ファンとして、シーザーのレガシーに大きな敬意を払いつつ新しいアプローチをしたことを歓迎。シーザーの話は悲しく、暗かったが(そこが良いのだが)、今作は若者の成長物語。ロードムービー、冒険映画の雰囲気もある。その過程で変化していく主人公を演じるオーウェン・ティーグは見事。ポストプロダクションで猿のCGを施されてはいても、目など細かい表情は明らかに優れた俳優のもの。アクションのこなし方も最高。エンタメでありながら現代社会につながる何かがあるのもこのシリーズの魅力。古い教えを都合良く捻じ曲げて大衆を操る悪役の様子も、まさにそれ。次でもっと深掘りされそうな要素を感じるので、続編が楽しみ。
三部作の数世代後、世界はこうなっているかもしれない
時代背景は、三部作の最終作『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』の数世代後。その頃、こういう猿が出現し、世界はこのようになっているかもしれないという物語と、その世界の光景が興味深い。あの三部作の後日談となると、なぜその物語を描かなければならないのかという理由が欲しくなってしまうが、そこは観客各自の判断か。
『メイズ・ランナー』シリーズのウェス・ボール監督によるアクションシーンが充実。前作の寒冷地とは全く違う、緑豊かな森での絶壁や大樹を活かした落下系アクションから、人間の建築物内の戦闘など、バリエーションも豊富。1968年のオリジナル映画『猿の惑星』へのオマージュもたっぷり。
猿と猿の物語
「猿の惑星」フランチャイズ10作目。とは言いつつもかなり独立したお話になっているので、旧シリーズはもちろん、リブート3部作の復習もあまりしなくて問題ありません。そして、これまで”猿の惑星”というタイトルでありながら”人間と猿の物語”になっていましたが、今回はかなり”猿と猿の物語”になっているところに新味を感じました。人間部分の代表となるノヴァのキャラクターにはいろいろ違和感を感じながら見ていたのですが、結末まで見るといろいろ腑に落ちます。これまで撮影当時の現実を投影した物語が続いてましたが、今回はかなりSFアドベンチャー路線に舵を切った感じです。