プリシラ (2023):映画短評
プリシラ (2023)ライター8人の平均評価: 3.8
スーパースターに愛された少女が夢から醒めるまでの物語
プリシラ・プレスリーが元夫エルヴィスとの関係を赤裸々に記した回顧録を、そのプリシラ本人を製作陣に迎えてソフィア・コッポラ監督が映画化。まだ14歳の少女に恋愛感情を向けるマザコンの24歳という時点で危険信号だし、実際に結婚後はモラハラ夫ぶりを発揮していくエルヴィスだが、しかし人生経験が浅い思春期の未熟なプリシラは、憧れのスーパースターとの夢のようなロマンスに盲目となってしまう。まるで籠の中の鳥だった彼女が、ひとりの人間としての自我と誇りに目覚め、自由を求めて羽ばたいていくまでを描く若い女性の成長譚。コッポラ監督らしいガーリーなキラキラ感にも風格が加わり、映像作家としての円熟味を感じさせる。
ガーリーのその先へ
いきなり流れるラモーンズだけで時代を超越する『マリー・アントワネット』感。S・コッポラ作品でしばしば語られる“ガーリー”という空気の濃度も同作に近い。
プレスリーとの恋で得たセレブライフにおける、ゴージャスな愛らしさはファッションやインテリアなどの生活のなかに顔を覗かせる。少女と女性の顔を行き来するC・スピーニーの好演は、この世界にフィットして、まさにハマリ役。
『マリー・アントワネット』と異なるのは、セレブ生活ではなくラブストーリーに焦点を絞っていること。ときめきがピークに達し、その後は失望が少しずつ大きくなる。そんな感情に寄り添っている点がいい。
ラーマンの「エルヴィス」と対照的に焦点は家の中
家の中に焦点を当てる今作には、バズ・ラーマンの「エルヴィス」に出てこなかったことがたっぷり。エルヴィスの決して褒められない行動も出てくるので、娘リサ・マリーはこの企画に大反対したそうだが、原作はプリシラが書いた回顧録なのだ。若い女性がアイデンティティを見つけていくというテーマが得意なソフィア・コッポラは、この話を語るのに最適な監督。服や髪型まで言われる通りだったプリシラが、彼が好まないとわかっている服を着るようになったり、ついに言いたいことを吐き出す瞬間があったりなど、心の変化がしっかり描かれる。14歳から20代後半までを演じたケイリー・スピーニー、その手助けをした衣装、ヘアメイクにも拍手。
孤独が溢れ出す“籠の中の乙女”
布団のCMで、世界の三船敏郎に「うーん、ねてみたい」と言わせる二十数年前。14歳の少女だったプリシラのシンデレラ・ストーリーだけに、近年微妙な作品が続いたソフィア・コッポラ監督が原点回帰。グレイスランドの大豪邸で“キング・オブ・ロックンロール”の帰りを待つ、“籠の中の乙女”の孤独が溢れ出す。『ロスト・イン・トランスレーション』のパークハイアット東京や『マリー・アントワネット』のヴェルサイユ宮殿に閉じ込められたヒロインに通じるものがあり、ファッションなり、選曲なり、いい意味でのクリシェ感がツボを突きまくり。ケイリー・スピーニーのキラキラ映画という意味で、★おまけ。
神話解体とセレブの憂鬱
バズ・ラーマン監督の『エルヴィス』が公式の快作としたら、こちらは「非公式」ならではの傑作(カヴァー曲「ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーインオン」の弾き語りはあるが、エルヴィスのオリジナル曲は使用なし)。幼妻として知られるプリシラの目線から、米国最大のアイコンが「ただの男」に解体される。実は相当攻めた試みだ。
特権階級のメランコリーは『ロスト・イン・トランスレーション』や『SOMEWHERE』とも通じるが、最も近いのは『マリー・アントワネット』。ヴェルサイユ宮殿に当たるのがプレスリーの邸宅グレイスランド。初恋=イノセンスの終わりが甘酸っぱい切なさで綴られる。完璧なソフィア・コッポラの味わい!
14歳の女の子の気持ちをポップソングと共に描く
同じソフィア・コッポラ監督の『マリー・アントワネット』で急にザ・ストロークスの「What Ever Happened」が流れた瞬間を思い出させる。あの映画でも18世紀のフランス王妃の物語に現代のポップソングが使われたが、本作も同様。プレスリーの妻プリシラの視点から見た物語を描くが、彼女の心情は、プレスリーの音楽ではなく、当時の音楽でもなく、それにピッタリのさまざまな時代のポップソングと共に描かれる。音楽監修は手練のランドール・ポスターだ。
14歳の女の子が、ポップスターの恋人になって体験する、夢のような至福感。しかし、そこに浸り続けることは出来ない。相手は特殊だが、普遍的な物語でもある。
視点が変わるとここまで物語が変わるのか!?
2022年のバズ・ラーマン監督の『エルヴィス』の裏面というか、別角度からの物語といった感じの映画。ソフィア・コッポラ監督の実話モノというのも珍しい感じがしますね。物語は『エルヴィス』でも描かれた事柄もありますが、視点が変わるとここまで物語が変わるのか!?と改めて映画というメディアの可能性に関心してしまいました。14歳で世界的なスーパースターと恋に落ちてしまうという、常人には計り知れない経験を追体験できることができます。エルヴィスに関してはこちらの方が似ていると思います。
テーマへの柔らかな対応はS・コッポラ。エルヴィス役が本人激似
ふかふかカーペットに素足が沈む冒頭の映像からして、ソフィア・コッポラが「これは自分の映画」と宣言しているかのよう。高校生のプリシラがエルヴィスに愛された“事実”は、現代の感覚でかなり危ういが、そこもソフィアは様々なカワいいアイテム&美術でオブラートに包んで演出。観やすい作りになっている。セレブ生活を描くシーンは画面が生き生きするのも監督らしい。選曲センスは相変わらず抜群。
プリシラ役ケイリー・スピーニーの年代に合わせた変化は敢闘賞もの。終盤は急いだ展開なのに意思の強さが伝わった。エルヴィス役ジェイコブ・エルロディは歌のシーンはわずかながら、話し方や仕草、顔の造形までここまで本人に近いとは!