プレゼンス 存在 (2024):映画短評
プレゼンス 存在 (2024)
ライター4人の平均評価: 3.8
怖さよりも切なさや哀しみが際立つお化け屋敷もの
とある一軒家に引っ越してきた平凡な家族。だが、その家には見えない先住者(=地縛霊)が存在した…!というお話。で、その幽霊は一見したところ幸せそうな一家の壊れかけた日常を目撃し、やがて彼らの身に迫る危険を警告しようとするわけだが、面白いのは全編を「幽霊目線」の一人称カメラで描いていること。よその家族の赤裸々な素顔を垣間見てしまうことへの戸惑い、疎外感を抱えた一家の長女に寄せる共感など、言葉を発することのできない幽霊の揺れ動く感情までもが丹念に描写される。怖さよりも切なさや哀しみが際立つという点で、どことなく『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』を彷彿とさせるお化け屋敷もの。
お馴染みのジャンルにユニークな形で貢献
お馴染みの設定に、新鮮な角度からアプローチする。サンダンスでお披露目されたにふさわしい、低予算(製作費200万ドル、インディーズなので認められ、俳優ストライキ中に撮影)の実験的映画。常に同じ視点から状況を見つめ、それぞれのカットは長い。ホラーというよりも機能していない家族、トラウマについての話で、次々に恐怖が襲ってくるのを期待していたら肩透かしを食うかも。ただし、ラストは十分ショッキングかつ感情的だ。4人家族のキャラクターは、みんなしっかりと書かれており、演技も良い。スティーブン・ソダーバーグは、やはり個性あるフィルムメーカー。このジャンルにユニークな形で貢献したことを評価したい。
その家に棲む"プレゼンス"に同化する
"ゴーストの棲む家"は、ホラー映画の定番設定だが、そこで起きる出来事を"その家にいる何か"="プレゼンス 存在"の1人称視点で描くという発想がユニーク。スティーヴン・ソダーバーグ監督自身が撮影と編集も担当し、1シーン1ショットの長回しで、その家の中をあちらこちらへとさまよい歩く存在の、よるべない気持ちを描き出す。こちらもその視点に同化して、まるで透明人間になって、その家に住む人々の生の姿を覗き見しているような気分になる。
脚本は『エコーズ』でも霊を描いたデヴィッド・コープ。この存在は何なのか、何をしようとしているのかという謎と、家族間のドラマを交錯させて、物語に没入させる。
幽霊の切なさ、哀しみも心を締めつける、新タイプの癒しホラー
映画の冒頭から、どこか「悲しみ」が漂っている。ガランとした家の中を縦横無尽に動くカメラ。その視点が「この世の者ではない」のはすぐわかるが、自分の思いを伝えられない切なさがカメラワークに宿ったかのようで、本能的に胸が締めつけられる。こんな映画体験は珍しい。
主人公たちが気づく異変、超常現象の怖さも繊細の極みで表現され、やがて積み重なって深い恐怖の沼を形成する。そのプロセスにも監督の職人芸を実感。ソダーバーグ得意のジャンプカットは今回、合間の真っ暗な画面の「長さ」に意図が見てとれる。
ホラーなのにどこか恍惚の後味は、犯罪劇なのに優しさに満ちた感動で終わる、同監督の『オーシャンズ11』も思い出した。