マン・オブ・スティール (2013):映画短評
マン・オブ・スティール (2013)ライター6人の平均評価: 3.8
ノーランとスナイダーの相性度は50%!?
「アメコミにリアルな世界観と歴史性を導入して再構築する」という点で、これは“新『バットマン』三部作”の延長のアプローチ。なので基本的にはクリストファー・ノーラン(原案・製作)のカラーが強い。しかしだからこそザック・スナイダー(監督)の起用は正直微妙だなあと思ってしまう。おそらく接点は『ウォッチメン』だろうが、あの作品はリアルを軸としたアメコミ的枠組みの批評であり、志向は真逆。完全に似て非なるものではないかな。
実は「水と油」「陰と陽」くらい違う相性ゆえか、ノーラン流のクソ真面目さが徹底されず、大げさなムードとメタリックな映像のパワーでごまかしたような印象。その軋みが爆発するのは、スナイダーが「やっちゃった感」を全開にするバトル。スーパーマンが都市機能をド派手に破壊し尽しておいて、「我々(地球人)の味方」だから結果オーライにしてしまう、えらく無神経なシーンになっている。
赤パンをなくしても、「S」のコスチュームを現実の風景に馴染ませるのは容易ではない。ケヴィン・コスナーが草原の中で佇むと『フィールド・オブ・ドリームス』の匂いが漂うところは妙に忘れ難いけど(笑)。続編の飛躍に期待!
ヒーローとは異世界に溶け込むべく能力を発揮するよそ者である
1本のヒーロー映画として観れば申し分ない。但し、80年代に原作の世界観が更新された事実を知っていても煩悶してしまう、太陽と月は異なる存在であってほしいと。ヒーローの均質化。そう、エイリアンである光の超人スーパーマンまでもが、生身の人間である闇の騎士バットマンと同様、人として自我や善悪の彼岸に思い悩む方向でリアルを強化されたことへの幾ばくかの抵抗である。屈託なき正義が存在し得ない以上、やむを得ないことも承知だ。星条旗の配色を思わせたコスチュームも、くすんで当然の世界なのだから。
決して眩い光に包まれた存在ではない。人間が夢見る能力者としてではなく、他者として地球に侵入したカル=エルが居場所を探して彷徨い、受け容れられるまでの物語だ。強大な敵は、自分達に都合のいい環境に地球をカスタマイズしようとする。長年に渡り地球人を体感してきた主人公は、そんな植民地的な支配に抗う。異なる正義の対立。種族の架け橋となる男の登場。ヒーローとは、互いの違いを踏まえた上で、異世界に必死に溶け込もうとして能力を最大限に発揮する“よそ者”である、という事実に気づかせてくれる作品なのだ。
最新型スーパーマンは“生みの苦しみ篇”
アメコミのヒーローの中でも、スーパーマンほどリアリティを盛り込んで描くのが困難なヒーローはいない。なにしろ人智を超えたパワーの持ち主だし、勧善懲悪の世界に生きているゆえにグレイゾーンが当たり前の、現実世界とは相容れないキャラクターだ。それをあえてリアルな世界に置いてみた、本作の意欲的な取り組みは評価したい。
これまでのスーパーマンは、自身の能力を自覚してすぐに正義の味方となるのでクリーンなイメージが強いが、本作でスポットが当てられるのは能力の自覚から使命の自覚に至るまでの暗黒期。その過程で彼は特異な能力ゆえに人を殺すし、文明社会も破壊する。壮絶な悶々は、スーパーヒーロー誕生までの生みの苦しみとも言えよう。また、『スーパーマンⅡ・冒険篇』では単に憎々しい悪役だったゾッド将軍も、本作では行動の動機が理解できる悪役となった。そういう意味でも本作はグレイゾーンのドラマなのだ。
勧善懲悪の痛快さも薄いので、従来のスーパーマン作品のファンは違和感を抱くに違いない。まずは過去のスーパーマン作品をご破算にして、まっさらな状態で向き合うことをお勧めする。
スーパーマンの成長を等身大に描く爽快な作品
古典的なアメコミヒーローをリアリズム重視で蘇らせるという手法は「ダークナイト」シリーズ以降のトレンドと言えるが、個人的にこれは諸刃の剣だと思う。確かにシリアスなテーマやメッセージを打ち出すには有効なのだが、その一方でヒーロー映画らしさを損ないかねない危険性もあるからだ。
その「ダークナイト」シリーズのクリストファー・ノーランとデヴィッド・S・ゴイヤーが関わった本作。スーパーマンの異名を冠したタイトルは過去作品との決別を強く印象づけるが、ご安心あれ、その中身は紛れもないスーパーマンだ。生まれつき超人的なパワーを持つゆえに、ヒーローとなる宿命を背負ってしまった若者クラーク・ケントが、いかにして我々の知っているスーパーマンへと成長したのかを等身大に描く。
惑星クリプトンを舞台にした序盤はSFスペクタクル、クラークの放浪生活を描く中盤は青春ロードムービー、そしてスーパーマンとして覚醒する終盤はヒーローアクションと、全体を飽きのこない3部構成にした脚本は素晴らしい。ロジカルにアップデートしつつも、過去のイメージを壊しすぎないサジ加減が大正解。夏休み映画に相応しい爽快な1本だ。
前半のノーラン色か?後半のスナイダー色か?
前作『スーパーマン リターンズ』を支持した人間にとっては、複雑な心境な本作だが、狙いどおり良くも悪くもクリストファー・ノーランのテイストは色濃い。クリプトン星を舞台に、『グラディエーター』ばりに逆境に立たされたラッセル・クロウと、『イントゥ・ダークネス』のカンバーバッチばりのヒールっぷりを炸裂するマイケル・シャノンがぶつかるドラマティックな冒頭。その後の悩める主人公をフラッシュバックで描いていくストーリー構成を含め、『ダークナイト』の影がチラついてしょうがない。そのため、エイミー・アダムスが魅力的に演じているはずのロイス・レインの存在も、どこか疎かになっている。
そんななか、クライマックスに展開されるニューヨーク大崩壊の超高速バトルは、胸焼けを起こすほどのやりすぎ感で押し切る。それまで陰を潜めていたザック・スナイダーのサービス過剰演出には、「やっぱ、アメコミ原作はこれぐらいバカじゃなきゃアカン」と痛感させられるが、ある種踏み絵的なシーンといえるだろう。
せっかくリブートするならこれぐらい潔くやらないと!
全く新しいスーパーマン像に賛否両論あるようだが、筆者は大いに楽しんだ。シリーズをイチからやり直すリブート版としては大健闘と思う。お約束を踏襲していないことへの反発や往年のファンの不満も理解できるが、例えばコスチュームにしてもさすがに今の時代に赤パンは厳しかろうと思うし、作り手側のチャレンジと潔さは好感が持てる。2人の父親の間で苦悩するクラークの成長物語は、原案・脚本・製作を手掛けるクリストファー・ノーランの存在を考えると長々と重苦しいものになるのではと身構えたが、割とシンプルで素直に感情移入。しかし何といっても見どころはザック・スナイダー節全開の映像(3D)で圧巻! これでもかと展開するスペクタクルなバトル・シーンてんこ盛りに、本作がシリーズ最終章かと思うほどだった。