思い出のマーニー (2014):映画短評
思い出のマーニー (2014)ライター6人の平均評価: 3.3
本作を暗く不幸と批判するのは無粋なリア充のパワハラに近い
国民的アニメが時代に拮抗する物語として、深い癒しを必要とする少女の心の旅を選んだことが重要だ。暗くて不幸と批判するのは、無粋なリア充のパワハラにも近い。自然や異界で目覚めた少女が生に立ち向かうのが旧ジブリならば、漸く見つけた居場所で魂を修復するのが新生ジブリの姿だ。眠れる身体が全開する冒険ファンタジーから、病んだ精神が時間軸を漂う心理ファンタジーへ。異性と結ばれることが決してゴールではなくなった今、ヒロインは“分身”によって救われる。世界観が通底する『アナ雪』との違いは、心理の流れを重視するあまり視覚的クライマックスが弱いことだ。観客の心をも解放させるアニメ体験とは何かを忘れてはならない。
ジブリ初の? 今どきヒロイン
海外の映画祭で言われてハッとしたことがある。「ジブリ映画の女の子は働き者なので教育に良い」と。だが本作の杏奈は、居候先の親戚宅でも手伝いはほとんどせず、関心は自分のことばかり。以前のヒロインが宮崎監督ら年配者の理想像なら、ジブリ初の、現代の等身大ヒロインと言えるかもしれない。さらに自己否定して生きる少女の心の旅路も実に今日的で、原恵一監督の傑作『カラフル』を彷彿とさせる。
ただ映像は繊細だが、脚本は荒い。マーニーの秘密が明かされるラストの怒濤の展開には口をあんぐり。辻褄が合っているのか検証してみたくなるほど。これも、何度でも観賞したくなるジブリマジックなのか。だとしても、もやもや感が残る。
クラシカルかつ現代的な、正統派幻想小説的世界。
屈折した主人公はジブリだから珍しくもないが、のっけからアウトサイダー色全開な暗黒モノローグにはのけぞった。さらには繊細に過ぎるほどな、少女ふたりの親密さを示す描写の数々。二人の身体の密着ぶりといい、すぐに頬を赤らめるナイーヴな反応といい、これはLGBT映画かと思わせるに充分だ。たとえ“真意”は異なろうが、今どき意識していないとは言わせないし、「真実の愛」をめぐる昨今のディズニーの変容とシンクロしているようにも思えるではないか。巨大サイロのクライマックスが『ジェニーの肖像』の灯台でのそれと重なるように、これが時のはざまに生まれた「不滅の(あるいは不毛の)愛」の幻想譚なのは間違いないしね。
意欲作だが、最大の難点は「幸福感」の欠如
米林宏昌監督の前作『借りぐらしのアリエッティ』は「宮崎駿作品の優秀なレプリカ」だと思えた。不足していたのは作家的濃厚さ=“魂”だったが、さて今回は――。
その点に意識的だったか、『思い出のマーニー』はやたらエモい。ただしヒロインの杏奈はヒステリックな怒りをぴりぴりと先鋭化させた少女になっており、「現代っ子」的変換だとしてもJ・G・ロビンソンの原作からすると解釈が暗すぎる。このネガティブな要素は最も賛否が分かれるところでないか。
他にも北海道の風土とヨーロッパ調のちぐはぐな乖離など、力みや挑戦が裏目に出ている点があり、ジブリカラーの中で後継者たちが必死に模索を繰り広げている印象だ。
日本の田舎に金髪の美少女が出現して違和感がない
どちらも12歳の、長い金髪の美少女と、黒い短髪の少女。日本の田舎の夏休み。湖畔の洋館。月夜の舟。秘密の日記。ポスターのイメージ通りの世界が描かれていく。
アニメーションというと、ついこの手法でしかできない動きの表現やグラフィックな映像を期待してしまうが、それは不要な思い込みなのかもしれない。本作では、アニメという手法は、不思議な金髪の美少女を日本の田舎に違和感なく出現させるためだけに用いられ、その目的は果たされる。監督は「借りぐらしのアリエッティ」の米林宏昌。同作同様、欧米の児童小説を日本を舞台に翻案したが、前回よりも無理がない。"愛に飢えた子供"というモチーフは、やはり鉄板。
課題図書的なジブリ…だけではない
ジブリ初のWヒロインだけに、ジブリ初の百合系か?それともハイジとクララの関係か?と思いきや、ミステリータッチで魅せる本作。巨匠が放った大人向け2大作の後だけに、夏休みの課題図書的なテーマや心地よい余韻、涙腺を刺激する演出など、本来のジブリさ全開の103分といえるだろう。
おまけに、ゆとりヒロイン・杏奈の「アルプスの少女ハイジ」の迷エピソード「ゆうれい騒動」を思い起こさせるエキセントリックな行動など、思わずニヤニヤしてしまう演出が残る。だが、原作の舞台だったイギリスから北海道に変更したことや、エピソードを並び替えたこと。それらによって、妙な違和感や矛盾点が露骨に出てしまったことは否定できない。