物語る私たち (2012):映画短評
物語る私たち (2012)ライター5人の平均評価: 4.4
鮮烈なドキュメンタリ/メタフィクション。【ネタバレあり】
これは私小説的ドキュメントであると同時に「叙述する」ということについてのメタフィクショナルな試みだ。あるテキストのどの部分に、あるいはどの人物に焦点を当てるかで別の物語が無限に生じるというドラマトゥルギーについての映画。8mm撮影が趣味だった父のホーム・ムーヴィを存分に引用しながら“物語”を進めつつ、ラスト15分で観客の思い込みをさりげなく、しかし確実に覆してみせる“してやったり感”は、ややあざといけれど爽快感あり (ただし注意深く観ていれば、早くにトリックは見抜ける)。それにしてもS.ポーリー、この物語のナレーションを父に書かせ、読ませるとは立派な鬼!…ま、深い愛情あればこそだけどね。
過去を“物語る”とき、“私たち”はどうするのか?
父親だと思っていた人物が父ではなく医学的に正しい父が他にいると知らされたら、そりゃあショックだろう。サラ・ポーリーは映画監督という立場から、衝撃的なこの事実に向き合った。
家族や友人へのインタビューは赤裸々で、時に“嫌な質問ばかりする”とボヤかれるのは、こういう題材だけに致し方ない。にもかかわらず中身は重くなるどころかユーモラスで、衝撃の事実が発覚する瞬間でさえ笑えてくる。
“人生は喜劇から逃れられない”という劇中の言葉を、ポーリーが客観視という手段で実践しているのは、ホームビデオ風の再現映像からも明らか。自分を“物語る”とき、“私たち”は本能的に、そのようにしているのかもしれない。
サラ・ポーリーはいま最も「鋭い」監督のひとりだ。
『アウェイ・フロム・ハー』では老夫婦、『テイク・ディス・ワルツ』では子供のいない若夫婦。パートナーシップの困難を通して男女の業を追求してきたサラ・ポーリーの監督第3作は、彼女の思考の「舞台裏」を見せてくれるような一本だ。カナダの芸能一家に生まれた彼女は亡き母の生前を探るうち、意外な自らの出生の秘密に突き当たる。
アインシュタイン似の爺さんなど登場人物のキャラが強く、ドキュメンタリーと銘打ちつつミステリーの趣。だが本作の核は「物語論」だ。人生は個によって事後的にどう語られるのか。真実とフェイクの関係など、映画全体が「問いかけ」の形をしている。絶対にエンドロールが終わるまで席を立たないで欲しい。
パーソナルな思い出から浮かび上がる愛の普遍性
亡き母、そして妻の思い出を遺された子供たちや夫、友人が語るうちにダイアン・ポーリーというユニークな女性の半生が浮かび上がる構成がとても知的だ。人の記憶は10人10色だが、ダイアンがいわゆる普通の母親になれなかったことは明らか。サラ・ポーリー監督が撮影中に探り当てる秘密は見方によっては奔放な女性の失敗だが、子供たちは“愛を求め続けた”母親が情熱の炎を燃やしたことを喜びもする。この家族に裁きは不要だし、愛情豊かなダイアンが家族や恋人に注いだ愛がさらに拡散するさまが微笑ましい。監督による亡き母親の回想録というパーソナルなドキュメンタリーでありながら、そこから愛の普遍性が浮かび上がる傑作だ。
人間という存在の虚構性に迫るドキュメンタリー
監督を兼ねる女優サラ・ポリーが、やはり女優だった亡き母親ダイアンの知られざる素顔、そして自らの出生の秘密を、残されたアーカイブ映像やホームムービー、家族や友人の証言などから解き明かしていく。
誰だって人生に嘘や秘密はつきものだし、関わった人の数だけ異なる物語がある。だが、もしそれが自分の親だったら、果たして思いがけない別の顔を知った時に受け止めきれるだろうか。
本作は亡き母の複雑な足跡を辿ることで人間の光と影や多面性を考察しつつ、なにはともあれ愛し愛された記憶こそが最も重要なのだということを教えてくれる。そして、本作そのものに隠された秘密が人間という存在の虚構性を知らしめるのだ。