バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 (2016):映画短評
バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 (2016)ライター5人の平均評価: 3.4
続きはもう、ご勝手に。
両雄対決とか言ったってどうせ仲直りするんでしょ…当然の予想を全く覆さない詰まらなさ。冒頭から延々続くまだるっこしい編集、それとは逆の、とにかくぶっ壊せばいいや的な大味アクションにZ.スナイダーの進歩のなさを痛感。だからヒーローによる無差別破壊、やりすぎ制裁の是非を問う物語にも重みがない。そもそもこんなに根性の曲がり腐ったサイコ野郎にバットマンを貶めて本当にいいのか!と怒り心頭だ。ま、結局はバーバリックな音楽に乗って突然現れるワンダーウーマンとともに、巨大怪人退治のどんちゃん騒ぎで終わるんだし、原題からもジャスティク・リーグものの開幕編なのは明らかだから深刻さなんて求められていないのだが。
夢の両雄対決は、実際に“夢”を見せてくれるのか!?
『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』のヒーロー飽和状態はマーヴェル・ユニバースの過渡期を思わせたが、DCユニバースも同様の時期を迎えている。
両雄対決という事件性は興味を引くが、クリストファー・ノーラン主導後のシリアス路線に則ったおかげで爽快感は薄い。お祭的コンセプトとシリアス路線の調和は、マーヴェルのようにヒーロー大集合化する今後のDCの課題となるのかもしれない。
都市破壊や人命の犠牲などヒーローの活躍による弊害というテーマはそれなりに消化されており、シリアスゆえの味はある。奇しくも同じテーマを持つマーヴェルの新作『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』と見比べてみたい。
ワンダーウーマンは、今年のフュリオサか?
明らかに9.11を連想させる序盤は置いといて、ザック・スナイダー監督の「また、ノーランっぽくすりゃ納得するっしょ?」な志の低い演出は、どうでもいい。だが、さんざんジラされ、戦いの火蓋が切られると、フッ切れたように狂い始める。『マトリックス・レボリューションズ』な雨の中、バットマンが洗面台を投げつけたかと思えば(しかも、意外と効果アリ!)、怪獣映画と化す。そんななか、打楽器連打のいかにもジャンキーXLな楽曲とともに、突如訪れるワンダーウーマン卑怯すぎ。しかも、綱引きで一人健闘する無敵っぷりは、フュリオサ大隊長のよう。そのインパクトたるや、「マーサ」繋がりで、心変わりするお粗末な脚本も許せるほど!
ワンダーウーマン、きたーっ‼︎
ヒーロー直接対決に期待値が上がったたが、またも記者として怖い者知らずの強硬取材を敢行し、スーパーマンの戦場に俊足で現れるロイス役のエイミー・アダムスと、何があっても動じない母ダイアン・レインに目を奪われっぱなし。その不死身ぶりと精神的な強さはヒーロー以上。
その彼女たちを上回る存在感を放つのがワンダーウーマンだ。男前な登場シーン。そして『ワイルド・スピード』シリーズよりパワーアップしたガル・ガドットのガタイの良さは、ヒーローと並んでも引けを取らないカッコ良さ。
今後、このワンダーウーマンが核となって話を展開するなら大歓迎。『スターウォーズ』も本シリーズも、次代を引っ張るのは女子ってことで。
ザック・スナイダー監督が描く"俺のバットマン"、見参!
スーパーマンとバットマンの双方が、自分をどのような存在として考えているのかを明かす、深い洞察に満ちた台詞がある。そして、双方がその性質を象徴する絵画のようなビジュアルで出現するシーンがある。そのどちらもが強く味わい深い印象を残す。前作には色濃く残っていた「ダークナイト」の呪縛から解き放たれて、特に後半はスナイダー監督らしい外連味のある派手な映像が炸裂。やっぱりこの監督の映像はこうじゃないと。
監督自身が強い影響を受けたと語るコミック「バットマン:ダークナイト・リターンズ」そっくりの場面もチラホラ。エンドクレジットには、このコミックの作家フランク・ミラーへの謝辞が記されている。