窮鼠はチーズの夢を見る (2020):映画短評
窮鼠はチーズの夢を見る (2020)ライター6人の平均評価: 4.7
見事な”流され侍”っぷり
”流され侍”=要は主体性のない優柔不断な男。恋愛対象としては最も嫌われるタイプだ。そんな男をスマートな立ち居振る舞いで嫌味なく演じられるのは、誰もが認める端正な容姿を持つ大倉忠義ならでは。その彼に魅了される濡れた瞳を持つ成田凌、夏生役のさとうほなみらドンピシャなキャスティングが光る。それにしても一昔前は、彼氏が同性愛の傾向があると分かったら、女性はショックで身を引くという展開がお約束だったが本作は引かない。これは原作の現代性によるところだが、新たな恋愛劇のカタチと人気俳優の覚悟の濡れ場に、あの『ブエノスアイレス』から23年、ようやく日本映画が世界標準に近づいてきたことを期待させる。
求め求められ、流されすれ違う愛の不条理
そもそも他人の恋愛においそれと共感できるかと言えば難しい話だと思うが、しかしそれにしても、これほど見る者の感情移入を拒むような人間ばかり出てくる恋愛映画も珍しいかもしれない。押しに弱くて優柔不断で下半身の緩いノンケ男、そんな彼に盲目的な愛情を捧げすぎてストーカーと化す一途なゲイ。この2人を軸に男女の欲望が絡む恋愛の駆け引きは露骨で、にわかに共感は出来ずとも説得力は十分にある。しかも、結局この優しいだけが取り柄の残酷な「流され侍」は、最後の最後まで他人を振り回して傷つけ、自分だけが妙な悟りの境地に至る。身も蓋もない不条理だが、この報われなさもまた恋愛の真実であり、そういう意味でとてもリアルだ。
大倉忠義と成田凌はまるで、止まり木にいる鳥のよう
誰にでも残酷な優しさを発動する「大伴」と、そんな男を愛してしまった小悪魔「今ヶ瀬」の、心と体の輪舞(ロンド)を観ながら思う。人はなぜ、人を愛するのかと。もしかしたら受け入れてくれた相手を通して、自分自身を愛しているだけでは? が、行定監督は示す。物語の分岐点で映画『オルフェ』(50)を引用し、その深奥なる世界を──。
ベストキャストの大倉忠義と成田凌はまるで、止まり木にいる鳥のようだ(細身の成田が、膝を抱えて“あの椅子”に座るシーン!)。何を考えているのか、いつ飛び立つのか、それが見えないのがスリリングで、ずーっと眺めていられる。繊細な空間を構築した照明担当、松本憲人氏に哀悼の意を捧げたい。
追いかけ、追いかけられる男たちの攻防戦
子猫のようにまとわりつく成田凌が魅せる魔性の芝居に驚き、彼の誘いを拒否りながらも、なし崩し的に身を寄せる大倉忠義が魅せる堕ちの芝居は、ニヤニヤを超え、もはや爆笑の域。行定勲監督作ではおなじみとなった『浮き雲』要素を感じさせながら、追いかけ、追いかけられる2人の色男による攻防戦は、『ブエノスアイレス』に近い空気感もあり、女性キャラが交わることで、さらにスリリングに。今回も130分と、長尺な行定作品ながら、さまざまな覚悟を感じさせる限界突破なラブシーンなど、緩急ある展開に目を奪われる。興味本位で観るのも構わないが、2020年を代表する愛の物語であることに変わりない。
都市から海辺へ、鏡の向こうの世界へ
X・ドランの『マティアス&マキシム』が己の純情を大切した好篇だとしたら、行定勲のこちらは原作から「ある愛の形」を受け取って、極上のポップソングにまとめ上げた趣だ。大倉忠義のクールなペルソナ、成田凌が体現する“存在の重さ”。ふたりの声のアンサンブル/ハーモニーも良く、そこに半野喜弘の音楽が詩情を湛えて絡み、彼らが交わる都市の情景を伝える。
世間のコードの側にいる女性たちをことごとく空転させていく「流され侍」こと恭一の表面的な秩序を、「例外」的な熱量の高い闖入者が破壊していく展開は、深田晃司『本気のしるし』と共通。今ヶ瀬が観る『オルフェ』の引用は、ラブソングの歌詞の一節のように効いている。
着地点が見えず、ハマっていく愛の地獄。まるでフランス映画
2人の人間、それぞれ愛情関係に対する価値観は違うわけだから、どう折り合いをつけるかが問題。今作の2人も、愛の深さより、考え方の相違でドラマが様々な方向へ動く。そこは、けっこうリアル。体の関係から精神的な絆へ移る過程も、途中から同性、異性の感覚も消えていき、ひたすら「愛」に収斂されていく。同性同士を描きつつ、そのポイントを忘れさせる好例という気もする。
ラブシーンを本気で撮ろうとした監督・役者の覚悟。小悪魔で粘着質が嫌味にならない小動物のような成田、「心ここにあらず」の表情が的確な大倉と、キャラクターを熟知した演技。それらの成果と、似たシーンもあるせいか『ベティ・ブルー』的な激情が襲ってくる。